2018年4月22日訪城。
酒田で一泊した後、翌日は酒田市郊外の旧松山町へと出かけた。ここには松山城があり、かつては酒田藩支藩の松山藩の城下町だった場所である。
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水路 |
松山の町に入ると街中を横切る水路が目に付くが、これは城下町の頃から残る水路で、水路より山側がお城と武士の町で、平野側が民衆の町だった。水路は真っ直ぐではなく緩やかにカーブを描いており、独特な街の風景を生み出していて面白い。
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大手馬出 |
城の大手口には丸馬出があり、馬出の外の堀は残念ながら埋まっていたが、その形がよく残されていた。画像の手前のアスファルトが堀の跡である。
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大手門 |
馬出を含む城址の本丸周辺は今は歴史公園になっており、馬出の先には山形県では唯一現存する櫓門の大手門があった。城としての知名度はかなり低いが、文化財としては奥羽圏内でもかなり貴重なものでとにかく見事なものである。何せ移築を除けば櫓門が当時と同じ位置にあるのは東北地方では弘前城くらいしかない。
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本丸跡 |
大手門の先はかつては三の丸跡で、今は文化伝承館があるが、すぐそばに少し高くなった広場があり、ここが本丸跡になる。当時は本丸と三の丸は区切って間に堀を置き、三の丸からは二の丸を経由しないと本丸に行けないような構造になる…はずだったが、資金難で結局内堀は造られなかった。
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本丸の桜 |
馬出の桜もソメイヨシノや枝垂桜が綺麗だったが、本丸の隅にも数本だけ桜があり、ちょうど満開で綺麗だった。
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本丸土手 |
本丸跡の広場周辺では土塁は見られなかったが、そこから城址館がある北側へ行くと本丸土手という土塁の一部がちゃんと残っていた。ただ、ペーパープラン時代の絵図を見るとここは二の丸の土塁に見えるので、結局二の丸と本丸の境界が完成せずに本丸として認識されていたということだろうか。
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十三間堀 |
本丸土手とは逆に公園よりも南の学校や住宅地のある方面に行くと、三の丸の外堀の一部だった十三間堀が残されていた。ここの堀の周囲にはソメイヨシノが植えられており、この時はちょうど桜吹雪が始まりだして綺麗だった。当然、堀には真新しい花筏が出来ており、これもまた綺麗だった。
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藩主邸跡で後に藩校跡 |
最後に藩主邸があった二の丸跡も立ち寄ったが、ここは藩主邸の後に藩校が造られており、現在はその跡が学校になっているのだから面白い。