2018年11月23日訪城。
中世の城はだいたい草木に埋もれているので、東北地方の中世の城めぐりは雪が積もる直前が良い、ということで冬が訪れたばかりの秋田へと向かった。初日に向かったのは男鹿半島にある脇本城で、安東氏の居城である安東三城のうちの一つである。
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城下町の鍵の手 |
以前来た時は城跡にしか行かなかったので今回は城下町から散策してみたが、城下町特有の鍵の手(クランク状)の道が残っており、建物は残っていないにしてもかすかに城下町の面影が残されていた。
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続100名城 |
城下町を抜けた先の脇本城の麓にはまだ真新しい続100名城の看板が立っており、地元の人々の祝福感が見て取れる。
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上空から見た城と城下町 |
城の麓の説明板にちょうど散策してきた城下町が載っていたが、冒頭の鍵の手は画像の中心あたりにある。画面右から左の城跡まで途中折れながら真っ直ぐ伸びているのが、かつての男鹿の古道で、「天下道」と呼ばれていた街道である。
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菅原神社の鳥居(城の麓) |
城の入口には菅原神社の鳥居が立っているが、階段を登らなくても右隣にある坂を登っても城跡には行ける。
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案内所 |
道を登った先の菅原神社の参道を横切って先に進んだ先には小さな砂利の駐車場があり、そこに案内所が設置されている。案内所といっても人が常駐しているわけではなく、パンフレット等の資料が置かれている場所である。この日は雪がチラチラ舞って風も強く、避難所としてもちょうど有難かった。
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生鼻崎から見た主郭跡 |
道を登り切った先は多くの曲輪が展開する城の中枢となるが、画像は生鼻崎側から主郭跡(内館)を見たものである。
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生鼻崎の曲輪群 |
生鼻崎側には曲輪が南北に並んで展開しており、曲輪群の西側には土塁が長く伸びていた。風は西側から強く吹き付けており、ちょうどこの時もこの土塁が風除けになってちょうどよかったが、恐らく当時もそうだったのだろうと思う。
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土塁の先の光景 |
土塁の先は断崖絶壁で、遠くには男鹿市の中心部である船川の港町が見えた。今は下に車道が見えるが、当時はここに人が通れる道は無く、街道である「天下道」は山の上を縫うように通っていた。
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主郭跡の大土塁 |
城内で最も巨大な土塁は主郭にある大土塁で、この大土塁によって主郭は二つに分断されており、主郭の東端側の曲輪が重要区画だったことを表しているという。
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主郭から見た城下町 |
その主郭東端部からは城下町が一望でき、当時の安東氏もこのような景色を見ていたのだろうと思うと感慨深い。