2018年11月4日訪城。
米沢市から山形市へ移動した翌朝、山形市郊外にある山家河内守の居城である山家城へと向かった。山家河内守は三千石の石高の最上家重臣で、最上義光が亡くなった時に殉死している。
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登山口 |
ゴルフの練習場へと登っていく坂の先に山家城の登山口があり、標柱や説明板もちゃんと設置してあった。一応、この場所は車2台分ほどの駐車場にもなっているので、車で来ても大丈夫そうだ。
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中腹の見晴らし台 |
元々段々畑だったと思われる場所の山道を登っていくと途中に見晴らし台があり、ベンチも設置してあったが、ベンチの先は絶壁なのでここで昼寝をする時は注意が必要そうだ。
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山形城方面を望む |
この場所からは山形市街が一望でき、景色はなかなか良かった。画像の左奥に見える高いビルのある場所が市街地中心部で、最上家の居城の山形城があるのは画像中央の奥である。
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物見台へ続く平場 |
山道を登っていくと段状に腰郭が確認出来て城跡らしくなっていくが、ある程度登って尾根に出るといくつかの平場が確認できるようになった。画像の平場の先には地図によれば物見台があるらしいのだが、笹薮が深く断念した。
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本丸櫓台 |
尾根に出てから登り切った先には本丸があり、ここで何故か本丸内部の写真を撮り忘れるという大失敗をする(帰ってから撮れていないことに気づいた)。画像は本丸の西端部にある櫓台の上で、標高234mの三角点はここにある。
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本丸櫓台からの景色 |
本丸櫓台からは天童方面を望むことが出来、遠くには白く冠雪した山々が見えた。なお、ここからは木々が邪魔で山形市街地中心部方面は見えない。
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二の丸石垣 |
本丸から東に進むと二の丸があるが、ここで曲輪の上に登る道ではなく南側の曲輪の側面を通る道に進むとやがて今回の訪城で一番確認したかった石垣が見えた。この石垣は加工していない石を積み上げて郭の側面が崩れないよう補強するためのもので、室町時代末期に中央から穴太積みの技術が伝わるまでは東北地方で使用されていた古い積み方である。伊達氏の城ではたまに見かけていたが、最上氏の城では初めて見たのでちょっと興奮してしまった。
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二の丸内部 |
二の丸は曲輪としては狭く、北側(画像左)に土塁を設けているが建物を置けるスペースは無い。石垣で補強する必要があったほど重要な曲輪には見えないが、本丸と三の丸が分断されないように兵を置いて繋ぐための曲輪だろうか。
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三の丸へ続く道 |
そして二の丸から三の丸へ向かう道であるが、ごらんの通りの藪で断念した。