2020年5月31日日曜日

晩秋の御岳昇仙峡:昇仙峡の渓谷(山梨県甲府市・甲斐市)

2019年11月10日訪問。

秋も終わりに近づいた頃、以前からずっと行きたかった昇仙峡へと出かけてきた。昇仙峡には甲府駅からのバスで向かったが、上流の猪狩の集落までは行かずに昇仙峡の渓谷入口で下車してそこから歩いて向かった。

昇仙峡の渓谷(荒川)
昇仙峡を流れる荒川は甲府市と甲斐市の境界でもあるため、気づかずに甲府市と甲斐市の間を移動しているが、遊歩道は主に甲府市側に付いている感じだった。


渓谷沿いの紅葉
紅葉のピークは過ぎたと思うが、道中の紅葉などの秋らしい景色は健在で歩いていて気持ちよかった。渓谷沿いの遊歩道は登り坂ではあるが、意外とこの付近は緩やかで特に負担になるような場所は無かった。


富士石
渓谷の岩には色々名前が付いており、納得のいくものもあれば、無理があるものもあってなかなか面白かった。画像は富士石と呼ばれる岩で、辛うじてそれっぽい雰囲気はある。


大佛岩
見上げてみて、「あー」と納得したのが大佛岩で、確かになんとなく大仏に見える。磨崖仏なんかで実際にこんな感じのものもあるため、それで納得できたのかもしれない。


登龍岩
岩の亀裂が縦に伸びるこの岩は登龍岩と呼ばれており、花崗岩の亀裂に輝石安山岩が入り込んだ珍しいものらしい。そういえば、ブラタモリでも昇仙峡に来ていたが、この岩は出てこなかった気がする。


熊出荘
道中で少し笑ってしまったのが、遊歩道沿いの公衆トイレの近くにあるこの建物で、名前が「熊出荘」で「熊出そう」に引っ掛けているのがツボに入った。


羅漢寺
遊歩道の途中で吊り橋を渡った先に羅漢寺があり、ここにある五百羅漢は文化財になっているが、保管庫の中は暗くて硝子越しにはよく判らなかった。あと、不思議なのはここに来るには吊り橋を渡るしかなく、建物等はどうやって作ったのだろうかというのが気になった。


覚円峰
しばらく進むと昇仙峡のポスター等でもおなじみの覚円峰が見えてきた。また、ここが見えるスポットには売店が固まっており、ここで少し休憩をすることにした。なお、覚円峰は覚円という僧がこの岩の上で座禅を組んで修行をしていたことに因んでいる。


石門
覚円峰の足元を登っていくと石門というなかなかダイナミックな場所を通過したが、この辺りは渓谷も狭くなって両側に岩が迫ってなかなか圧迫感がある場所だった。


岩をくり貫いた道
道は岸壁の険しい場所を通っており、画像のように岩をくり貫いて出来ていたりしていた。覚円峰の手前までは緩やかな道だったが、覚円峰の足元を通る道は明らかに険しすぎる為、江戸時代にはここを通るルートは無かったのではと思われる。


仙娥滝
狭い道を抜けた先には昇仙峡の代表的な滝である仙娥滝があり、何気に谷間に差し込む光で虹が架かっていて綺麗だった。

2020年5月28日木曜日

横手盆地の紅葉の旅:円塚森(秋田県湯沢市)

2019年11月4日訪問。

小安峡から湯沢駅方面へと戻る途中、何やら「古代大王の館跡」という看板を見つけたので寄り道してみたが、遠目に見た感じでは館跡というよりは円墳のような感じだった。「円塚森」という名前の遺跡だが、円塚(まるつか)は古墳を指す言葉でもあるので、命名者も古墳だと思って付けたのだろう。


円塚森
見た目は川べりにある小さな丘だが、ダム湖の水位が上がると恐らく島になってしまいそうだ。地図を見ると山岸の集落の南の方から川に降りる道がありそうだったが、円塚森まで行けるかどうか不明だったので、結局近くでは確認していない。


古代大王の館跡の看板
流石に「古代大王の館跡」は過大広告だと思うが、遺跡からの遺物が縄文・弥生式土器なので人が住む集落があったのは確かのようだ。ただ、古墳時代よりも古い時代ということになるので、古墳でもなく蝦夷のチャシのような村々の儀式場だったのではと思われる。

2020年5月23日土曜日

横手盆地の紅葉の旅:小安峡大噴湯(秋田県湯沢市)

2019年11月4日訪問。

不動滝から渓谷沿いの車道を下流に向かって進むと、小安タクシーを過ぎた先の緩やかなカーブ付近から渓谷に降りれる階段があった。ここから下に降りれるものの、戻る時はまた登らないといけない為、ちょっぴり気が重くなるくらいの落差だった。

河原湯橋
渓谷の下に降りていく途中、正面には河原湯橋が見え、実に渓谷らしいアーチが架かっている景色が紅葉も相まって素晴らしかった。


渓谷の底の方
底まで降りると渓谷の深さが実感できたが、逆に底からだと紅葉があまり見えず、渓谷の壁面や川の流れが強く目に付いた。


大噴湯
渓谷の底の遊歩道を進んでいくと、凄まじい轟音と共に湯気に包まれた一帯を通るが、ここが小安峡のメインスポットでもある大噴湯である。


蒸気の吹き出し口
これらの湯気の原因は渓谷の壁の地層の隙間から噴き出る温泉の蒸気で、これが凄まじい勢いで噴出しており轟音も凄かった。なお、江戸時代の菅江真澄もここを訪れており、当時の記録では壁から噴出した蒸気が対岸の壁にぶつかるくらい凄かったのだという。


紅葉
河原湯橋の先の階段から再び上に登ると、そこは物産館がある観光施設で駐車場もあるので、観光客はこちら側から昇り降りする人が多いようだ。この駐車場の一角にはなかなか絶妙なグラデーションがかかった紅葉があって綺麗だった。

2020年5月16日土曜日

横手盆地の紅葉の旅:小安御番所と不動滝(秋田県湯沢市)

2019年11月4日訪問

休みの最終日も前日同様に湯沢市の山間部へと出かけ、前日に訪れた稲庭よりもさらに奥の小安峡へと向かった。小安峡と言えば温泉であるが、今回は単純に渓谷の観光と紅葉が目当てである。

小安御番所
小安御番所跡
小安峡の総合案内所の近くは谷が迫る山によって狭くなっており、ここに秋田藩の関所である小安御番所跡がある。この関所は1813年にこの場所に移されたもので、本来の関所はもっと下流の小安集落(下村)の小安惣兵衛宅にあった。今は関所門をイメージした門があるだけで、御番所跡と思われる場所は国道398号が貫通している。


元の小安御番所跡
なお、元の御番所は1681年に建てられたもので、こちらはその跡地に標柱だけが立っている。


不動滝より上流側
小安御番所の眼下には小安峡の境界である不動滝があり、この滝を境にして上流と下流で景色が全く変わっている。上流側は渓谷というよりは穏やかな小川で、谷もそこまで深くはない。現地の説明板によれば温泉のシリカ成分で岩盤が固くなり、ここより上流側は皆瀬川の浸食をあまり受けなかったらしい。


上から見た不動滝
不動滝は想像していたよりも細く激しい滝で、大地の割れ目に激しく流れ込んでいくような不思議な光景だった。例えるなウォータースライダーのような感じである。


不動滝中間の滝壺
そのウォータースライダーの中間に滝壺があり、このあたりは岩が丸く抉り取られて神秘的な空間を形成していた。


不動滝より下流
不動滝より下流は谷が一気に深くなり、狭義の小安峡はここから南へ続く渓谷を意味している。渓谷はちょうど紅葉真っ盛りで綺麗だったが、渓谷の下に降りるためには不動滝よりももっと下流に移動する必要があった。

2020年5月5日火曜日

横手盆地の紅葉の旅:稲庭城(秋田県湯沢市)

2019年11月3日訪城。

横手から南下して湯沢市の山間部にある稲庭へと向かった。稲庭は小野寺氏の初期の本拠地だった場所で、小野寺氏の発展と共に本拠地が横手盆地の中央へとだんだん移動していくのである。

城下町
稲庭の城下町は寺社が昔のままの位置に残っており、ちょうど三島神社のある場所には鍵の手に折れ曲がる城下町特有の街道が残っていた。なお、三島神社は元は大森山の上にあり、小野寺氏が鳥居の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬することから今の場所に遷宮したという。


稲庭うどんの店:後文
稲庭名物と言えばなんといっても稲庭うどんで、秋田県内でもよく知れた店の本店などがいくつかあるが、この時は稲庭城に行くことを考えて最も城に近い場所の後文という店を訪れた。ちょうどお昼時だったこともあって三島神社の隣の寛文五年堂なんかは行列が出来ていたが、ここは空いていてすんなり入れた。味も美味しかったので混んでないのが不思議だったが、知名度と一見すると駐車場が無いように見えるせいだろうか。


稲庭城登山口
腹ごしらえした後は城下町を抜けて奥へと向かうが、途中の山の下に稲庭城の登山口がある。車で来た場合はもっと奥の売店と駐車場がある場所まで行かないといけないので、たぶんここから登る人はあまりいなさそうだ。


スロープカー
今回、自分もリニューアルしたスロープカーに乗りたかったので、登山口はスルーして奥のスロープカー乗り場へと向かった。なお、山の上の稲庭今昔館の入館料はスロープカーの乗車分も含んでいるので、ある意味乗らないと損でもある。


二の丸腰郭
スロープカーで山の上に登るとそこは二の丸跡で、今は模擬天守閣の今昔館が建っている。スロープカー乗り場の脇には階段状に腰郭が設けてあり、そこには画像左の鞍掛神社や画面外の稲荷神社などが祀られていた。なお、鞍掛神社は栗駒山の駒形根神社の分社である。

紅葉と今昔館
二の丸跡には紅葉した木々もあり、なかなか秋らしい風景が見れて良かった。強いて言えば天候が悪かったことだけが不満だった。


今昔館の最上階から見た景色
今昔館の内部は稲庭地方の資料館になっており、稲庭うどん等の産業や後藤逸女などの偉人についての展示が多かった。稲庭城や小野寺氏についての展示も一応あったが、ちょっと物足りない感じだった。なお、最上階からは稲庭の谷間の地形を良く見渡すことが出来、何故ここに城が築かれたかよく判る景色だった。


二の丸跡の櫓台
二の丸跡は南端部に土塁と櫓台が残っており、発掘調査の資料を見るとこの櫓台の根本は石垣(石積み)で補強されていたようである。現状では目視確認できないので、埋められてしまったのだろう。


三重堀跡
二の丸跡は南東の鞍部で本丸のある山と繋がっているが、この部分には三重の堀切が設けられていたようだ。画面外の右側には「三重堀跡」の看板もあるのだが、現状ではコンクリートで埋められて車道になっている為、全く確認できない。なお、画像奥に見える階段が本丸に登る山道。


堀切
本丸に続く山道を登っていくと途中に1か所堀切が設けられていた。この山道は細い尾根で両側が断崖になっており、この堀切を必ず越えないと本丸跡にはいけないようになっている。


本丸跡
山道を登り切ると一旦本丸の帯曲輪に出るが、そこからさらに登ると本丸跡に到着する。本丸跡は想像していたよりも広大な削平地で、体感では二の丸の3~4倍の広さがあった。なお、二の丸跡は観光客が沢山訪れていたが、流石に本丸跡まで登ったのは自分だけであった。


本丸背後の堀切
本丸の周囲は急斜面で東側の鞍部から背後の山に繋がっていた。当然ながらここにも堀切が設けてあり、その先に小さな曲輪があった。天候が怪しいこともあってここで引き返してしまったが、この先の更に奥にも大きな曲輪があるらしい。


スロープカー
帰りは二の丸の腰郭の先にある山道から下山したが、途中には画像のようにスロープカーを横から見れるスポットもあった。


腰郭跡
観光客は全てスロープカーで昇り降りしていた為、山道は自分しか歩いていなかったが、中腹には腰郭などもあってちゃんと説明板なんかも設置してあった。


堀切跡
二の丸のある山の斜面自体かなり急斜面で防備に向いた地形だったが、腰郭から更に下には堀切などもあって登ってこれそうな場所には堀を設ける等の徹底ぶりが印象的だった。なお、山道は前述した登山口に出るルートと駐車場に出るルートの2つに分かれていた。

2020年5月2日土曜日

横手盆地の紅葉の旅:和田城(秋田県横手市)

2019年11月3日訪城。

横手郊外の山あいにある鶴ヶ池荘に宿をとっていたため、翌朝はまず鶴ヶ池の散策から始めた。なお、この鶴ヶ池のほとりには和田四郎の居城の和田城跡もある。


鶴ヶ池
鶴ヶ池は舌状台地の末端にある池で、なんでここに池が出来たのかわからない不思議な地形になっている。画像だとただの池のようにしか見えないが、画像の向こうの対岸の先には段丘崖があって下に降りているのである。


鶴ヶ池沿いの紅葉
鶴ヶ池周辺は公園整備されており、西側の岸辺の公園の紅葉なんかは鮮やかで綺麗だった。なお、菅江真澄もここを訪れて紀行文を書いており、記念碑がたっている。


塩湯彦鶴ヶ池神社
池の北側にある小さな丘には御嶽山の塩湯彦神社の里宮である鶴ヶ池神社が祀られており、ここからは鶴ヶ池を見下ろすことが出来る。また、菅江真澄のスケッチの絵の角度から見て、真澄はこの丘から鶴ヶ池を見てスケッチしたのではないかと思われる。


西側の丘
鶴ヶ池神社の丘も含めて鶴ヶ池の周囲には小さな丘が東西南北に5つあり、これもどうやって出来たのか気になる地形である。


和田城跡
和田城跡はこの丘のうちの東側の丘の上にあり、今は福祉施設の敷地になっていて散策は出来なかったので、遺構は何も確認できなかった。画像左の丘の上が和田城で、画像右の平地は陣場跡だと伝わる。