2020年5月5日火曜日

横手盆地の紅葉の旅:稲庭城(秋田県湯沢市)

2019年11月3日訪城。

横手から南下して湯沢市の山間部にある稲庭へと向かった。稲庭は小野寺氏の初期の本拠地だった場所で、小野寺氏の発展と共に本拠地が横手盆地の中央へとだんだん移動していくのである。

城下町
稲庭の城下町は寺社が昔のままの位置に残っており、ちょうど三島神社のある場所には鍵の手に折れ曲がる城下町特有の街道が残っていた。なお、三島神社は元は大森山の上にあり、小野寺氏が鳥居の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬することから今の場所に遷宮したという。


稲庭うどんの店:後文
稲庭名物と言えばなんといっても稲庭うどんで、秋田県内でもよく知れた店の本店などがいくつかあるが、この時は稲庭城に行くことを考えて最も城に近い場所の後文という店を訪れた。ちょうどお昼時だったこともあって三島神社の隣の寛文五年堂なんかは行列が出来ていたが、ここは空いていてすんなり入れた。味も美味しかったので混んでないのが不思議だったが、知名度と一見すると駐車場が無いように見えるせいだろうか。


稲庭城登山口
腹ごしらえした後は城下町を抜けて奥へと向かうが、途中の山の下に稲庭城の登山口がある。車で来た場合はもっと奥の売店と駐車場がある場所まで行かないといけないので、たぶんここから登る人はあまりいなさそうだ。


スロープカー
今回、自分もリニューアルしたスロープカーに乗りたかったので、登山口はスルーして奥のスロープカー乗り場へと向かった。なお、山の上の稲庭今昔館の入館料はスロープカーの乗車分も含んでいるので、ある意味乗らないと損でもある。


二の丸腰郭
スロープカーで山の上に登るとそこは二の丸跡で、今は模擬天守閣の今昔館が建っている。スロープカー乗り場の脇には階段状に腰郭が設けてあり、そこには画像左の鞍掛神社や画面外の稲荷神社などが祀られていた。なお、鞍掛神社は栗駒山の駒形根神社の分社である。

紅葉と今昔館
二の丸跡には紅葉した木々もあり、なかなか秋らしい風景が見れて良かった。強いて言えば天候が悪かったことだけが不満だった。


今昔館の最上階から見た景色
今昔館の内部は稲庭地方の資料館になっており、稲庭うどん等の産業や後藤逸女などの偉人についての展示が多かった。稲庭城や小野寺氏についての展示も一応あったが、ちょっと物足りない感じだった。なお、最上階からは稲庭の谷間の地形を良く見渡すことが出来、何故ここに城が築かれたかよく判る景色だった。


二の丸跡の櫓台
二の丸跡は南端部に土塁と櫓台が残っており、発掘調査の資料を見るとこの櫓台の根本は石垣(石積み)で補強されていたようである。現状では目視確認できないので、埋められてしまったのだろう。


三重堀跡
二の丸跡は南東の鞍部で本丸のある山と繋がっているが、この部分には三重の堀切が設けられていたようだ。画面外の右側には「三重堀跡」の看板もあるのだが、現状ではコンクリートで埋められて車道になっている為、全く確認できない。なお、画像奥に見える階段が本丸に登る山道。


堀切
本丸に続く山道を登っていくと途中に1か所堀切が設けられていた。この山道は細い尾根で両側が断崖になっており、この堀切を必ず越えないと本丸跡にはいけないようになっている。


本丸跡
山道を登り切ると一旦本丸の帯曲輪に出るが、そこからさらに登ると本丸跡に到着する。本丸跡は想像していたよりも広大な削平地で、体感では二の丸の3~4倍の広さがあった。なお、二の丸跡は観光客が沢山訪れていたが、流石に本丸跡まで登ったのは自分だけであった。


本丸背後の堀切
本丸の周囲は急斜面で東側の鞍部から背後の山に繋がっていた。当然ながらここにも堀切が設けてあり、その先に小さな曲輪があった。天候が怪しいこともあってここで引き返してしまったが、この先の更に奥にも大きな曲輪があるらしい。


スロープカー
帰りは二の丸の腰郭の先にある山道から下山したが、途中には画像のようにスロープカーを横から見れるスポットもあった。


腰郭跡
観光客は全てスロープカーで昇り降りしていた為、山道は自分しか歩いていなかったが、中腹には腰郭などもあってちゃんと説明板なんかも設置してあった。


堀切跡
二の丸のある山の斜面自体かなり急斜面で防備に向いた地形だったが、腰郭から更に下には堀切などもあって登ってこれそうな場所には堀を設ける等の徹底ぶりが印象的だった。なお、山道は前述した登山口に出るルートと駐車場に出るルートの2つに分かれていた。