2023年1月30日月曜日

山形への温泉旅行:米沢城(山形県米沢市)

2023年1月21日訪城

山形のかみのやま温泉へ向かう途中、米沢に寄り道して米沢城へと立ち寄った。この日の米沢は雪模様の天気で、いかにも冬らしい景色が見られたが、その分寒さも一際あった。

内堀
本丸内堀は部分的に氷が張っている箇所はあったが、全体では凍ってはおらず、橋の下などを覗くと鯉が密集しており寒さを凌いでいるようだった。


本丸大手の橋(上杉神社参道)
本丸跡へと向かう道は雪が厚く積もっていたが、人の足跡で轍が出来ており、こんな日でも上杉神社に多くの人が参拝しているようだった。

上杉神社
実際、拝殿には入れ代わり立ち代わり人が訪れており、人が映らないように撮るのが難しいほどだった。なお、今回は雪で散策がままならなかった為、神社に参拝後は駅へと戻ることにした。

こんな雪の日でも鳩たちは神社の参道付近に集まっており、なかなか逞しいかぎりだった。せっかくだから神社で売ってる鳩の餌でもあげようかと思ったが、以前あった鳩の餌の自販機が残念ながら見当たらなかった。


2023年1月29日日曜日

勝竜寺城(京都府長岡京市)

2023年1月9日訪城

大阪旅行からの帰途、途中の京都府の長岡京で、まだ訪れたことが無かった勝竜寺城にも立ち寄ってみた。城は細川藤孝の居城として知られた場所で、息子の忠興に明智光秀の娘の玉(ガラシャ)が嫁いだことから、山崎の合戦に敗北した明智光秀が最後に立ち寄った場所としても知られている。


空堀と土塁と土橋と虎口
勝竜寺城跡の北側には北外曲輪と神足屋敷曲輪との間にあった空堀と土塁が残っており、土橋と虎口も残っていたが、残念ながら虎口の先は私有地のためか通り抜けは出来なかった。



神足神社(神足屋敷跡)
神足屋敷跡は元々は独立した武士の館跡だったらしいが、勝竜寺城が築かれた時に取り込まれて曲輪の一部となった。現在は公園と神足神社の境内となっている。



本丸の模擬隅櫓
勝竜寺の本丸に向かうと立派な水堀と塁壁が現れるが、北東隅には隅櫓もどきのよく見ると謎の建物が立っていたが、逆から見るとスカスカで櫓ですらなかったのは衝撃的だった。



模擬虎口
画像は本丸の北の入り口だが、土橋っぽいのも門っぽいのも全て模擬で、当時はここはただの水堀だった。


本丸北御門跡
本当の虎口は模擬虎口よりも西側にあり、ここには当時の石垣が残っていることが解説板に書かれていた。画像だけだと分からないが、立派な枡形虎口で門の礎石も残っていた。


本丸南御門跡
一方、本丸の南の虎口は場所は当時と同じだが、石垣や門などは全て模擬だという。なお、本丸内部は2階が歴史館になっている管理棟の建物と庭園になっている。


本丸西土塁
本丸は西側の土塁だけが異様に高くなっており、この土塁の中央には帯曲輪に出るための虎口跡の窪みがある。なお、土塁の南部が場内で一番高くなっているため、ここに天守相当の櫓があったのではとされている。

沼田丸と空堀跡
勝竜寺城跡では本丸と沼田丸だけが城址公園となっており、その周囲の曲輪跡はすべて住宅地になっている。画像は沼田丸の北側の空堀跡で、今は埋まってしまってはいるが、当時は二重堀だったようだ。

外曲輪の外堀
北側の外曲輪は宅地化で輪郭が微妙に分かりづらいが、南側の外曲輪は西側の水堀跡が水路になってよく残っている。

勝龍寺
その南の外曲輪の中心には城の名前の由来になった勝龍寺が残っており、ここから東に向かった場所のT字路らへんに城の南の大手門があったようだ。

外曲輪の大門のモニュメント
大手門跡より東側には現在大門橋が架かっているが、中世の大門橋はもうちょい南側にあった。なお、現代の大門橋のたもとには画像のような門をイメージしたモニュメントが立っていた。
 

2023年1月20日金曜日

大阪城(大阪府大阪市)

2023年1月8日訪城。

歴史博物館を出た後は隣の大阪城へと向かったが、既に夕方になっていたため、大手門から入った後は豊國神社に立ち寄って本丸へと向かった。

豊國神社
急いではいたが新年に大阪城を訪れた以上は神社に立ち寄っておかないと気が済まないため、手っ取り早く参拝を済ませて瓢箪のお守りを購入した。なお、豊國神社の総本社は京都にあるが、ここは総本社に次ぐ社格となっている。


本丸大手門
三の丸大手門の枡形ではどこにも門松が無かったが、本丸の大手門前にはちゃんと門松が立てかけてあった。年末年始の城廻では城門に門松があると地味に嬉しくなる。


現代の大阪城天守閣
今回、大阪城の天守閣入り口の検疫所に着いた頃にはちょうど閉館時間となっており、残念ながら中に入ることは出来なかった。なお、本丸ではちょうど豊臣石垣の展示エリアの整備工事が行われていたので、工事が完了した頃には再度訪れたいところである。


馬出の石垣
一通り散策後は京橋口から外に出たが、この辺りの街中でも地味に当時の石垣を見ることが出来た。画像の石垣は京橋口の馬出しに使用されていた石垣で、発掘で出土したものを地上に展示したものだという。


2023年1月19日木曜日

大阪歴史博物館(大阪府大阪市)

2023年1月8日訪問。

堺から大阪に戻った後、大阪城のすぐそばにある大阪歴史博物館へと向かった。

大阪歴史博物館
今まで色んな自治体の歴史博物館を巡ってきたが、縦方向に長い歴史博物館の建物は初めてかもしれない。1階で受付を済ませた後はエレベーターで10階まで登り、各階の展示を見ながら7階まで降りてまたエレベータで1階に戻るという構造になっていた。2階~6階はどうやら普段は用事のない階層のようだ。


高床式倉庫
歴史博物館の手前には復元された高床式倉庫があってなかなかインパクトがあるが、実際にここを発掘した際に見つかった遺跡の上に復元したものらしい。5世紀あたりにこの地にあった難波宮に関連する施設のようだ。なお、大阪歴史博物館の10階フロアもほぼ難波宮に関する展示となっている。


歴史博物館から見た大阪城
歴史博物館の上からは大阪城が眼下に見えるため、なかなかのビューポイントだった。特に大手門越しに天守が見えるあたりがいい感じである。なお、歴史博物館の展示は戦国時代~江戸時代については本願寺や町屋の展示が中心で、恐らく大阪城の城内の博物館展示と被らないようにしている感じだった。


2023年1月18日水曜日

堺環濠都市遺跡(大阪府堺市)

2023年1月8日散策。

住吉大社へ参拝した後は、15~16世紀の歴史を読んでいると出てくる「堺」という環濠都市跡を散策するため、堺市へと向かった。

環濠
現在も西側と南側の環濠が残っており、環濠都市の面影はあるが、海側が埋め立てられているのと、現代のビル群が立ち並んでいるせいで、予め知っていないとただの川にしか見えないのは困ったところ。


千利休屋敷跡
とりあえず、まずは堺の有名人である千利休(千宗易)の屋敷跡へと行ってみたが、ビルの隙間にご覧のスペースがあるだけで、なかなかショッキングな光景だった。一応フォローを述べると、画像のスペースは屋敷跡の一部分らしいので、本来はもっと広かったようだ。



井戸跡
内部は小さな空き地になっており、千利休の石碑と画像の井戸があるだけだった。一応、ガイドの方も1名いて説明していただいたのだが、あまりにも見どころが少なすぎてこちらが申し訳ない気持ちになるくらいだった。


住吉大社頓宮飯匙堀
千利休屋敷跡から少し東に行ったところに住吉大社頓宮があったので立ち寄って参拝したが、ここは夏越の祓の時に住吉大社から神輿を担いでやってくるゴール地点らしい。


白夜の兎
ここにも住吉大社の神使の兎をモチーフにした石像があったが、ぱっと見では丘というよりは月にいる兎のようにも見える。


極楽橋
環濠のうち東側は埋め立てられて今は土井川公園となっているが、この公園の中にかつて環濠に架かっていた極楽橋が移築されている。この橋は江戸時代のものらしいが、堺の町に入るために渡った橋を体験できる貴重な遺物である。


商家:山口家住宅
堺の町は今ではビル等の現代建築だらけで、辛うじて寺社あたりに昔の面影が感じられるくらいだった。そんな中で、唯一商家の跡を体験できたのが画像の山口家だった。昔の農家や武家屋敷等の建物は今まで散々見てきたが、この建物はそれらとはまた違った作りになっていてなかなか新鮮な体験だった。


鉄砲鍛冶屋敷
山口家を見た後は、地図にあった鉄砲鍛冶の屋敷も見に向かったが、こちらは残念ながら整備のための工事中でまだ公開されていなかった。それでも、この界隈は江戸時代のような建物がいくつかあり、堺の中では最も昔を感じられる場所だった。


2023年1月15日日曜日

2023年初詣:住吉大社(大阪府大阪市)

 2023年1月8日参拝。

コロナ禍や足の怪我等でトラブル続きだった今までから心機一転するため、2023年初詣はまだ訪れたことが無かった住吉大社へと向かった。

住吉大社入り口
大阪に移動して一泊した翌朝、住吉大社へと向かったが、三が日過ぎたとは言え人出は多かった。


第一本宮
住吉大社は境内が特殊で、本宮が4か所ある上に第1~3は直列に並んでいるが、第4だけは横に並んでいるのが特徴的だった。


反橋
他に印象的だったのは反橋を実際に渡れることで、他の神社だとこの手の橋は立ち入り禁止になっていることが多いだけにより印象的だった。なお、橋自体は見た目よりも急な階段だった。


撫で兎
第四本宮の前あたりに行列が出来ていて何かと思ったら、撫でるとご利益がある神使の兎の像があって皆これを撫でていた。今年の干支で演技が良いので賽銭あげて撫でてきたが、アルコール消毒装置が目の前に設置されているのは今のご時世らしい光景だった。