2023年1月29日日曜日

勝竜寺城(京都府長岡京市)

2023年1月9日訪城

大阪旅行からの帰途、途中の京都府の長岡京で、まだ訪れたことが無かった勝竜寺城にも立ち寄ってみた。城は細川藤孝の居城として知られた場所で、息子の忠興に明智光秀の娘の玉(ガラシャ)が嫁いだことから、山崎の合戦に敗北した明智光秀が最後に立ち寄った場所としても知られている。


空堀と土塁と土橋と虎口
勝竜寺城跡の北側には北外曲輪と神足屋敷曲輪との間にあった空堀と土塁が残っており、土橋と虎口も残っていたが、残念ながら虎口の先は私有地のためか通り抜けは出来なかった。



神足神社(神足屋敷跡)
神足屋敷跡は元々は独立した武士の館跡だったらしいが、勝竜寺城が築かれた時に取り込まれて曲輪の一部となった。現在は公園と神足神社の境内となっている。



本丸の模擬隅櫓
勝竜寺の本丸に向かうと立派な水堀と塁壁が現れるが、北東隅には隅櫓もどきのよく見ると謎の建物が立っていたが、逆から見るとスカスカで櫓ですらなかったのは衝撃的だった。



模擬虎口
画像は本丸の北の入り口だが、土橋っぽいのも門っぽいのも全て模擬で、当時はここはただの水堀だった。


本丸北御門跡
本当の虎口は模擬虎口よりも西側にあり、ここには当時の石垣が残っていることが解説板に書かれていた。画像だけだと分からないが、立派な枡形虎口で門の礎石も残っていた。


本丸南御門跡
一方、本丸の南の虎口は場所は当時と同じだが、石垣や門などは全て模擬だという。なお、本丸内部は2階が歴史館になっている管理棟の建物と庭園になっている。


本丸西土塁
本丸は西側の土塁だけが異様に高くなっており、この土塁の中央には帯曲輪に出るための虎口跡の窪みがある。なお、土塁の南部が場内で一番高くなっているため、ここに天守相当の櫓があったのではとされている。

沼田丸と空堀跡
勝竜寺城跡では本丸と沼田丸だけが城址公園となっており、その周囲の曲輪跡はすべて住宅地になっている。画像は沼田丸の北側の空堀跡で、今は埋まってしまってはいるが、当時は二重堀だったようだ。

外曲輪の外堀
北側の外曲輪は宅地化で輪郭が微妙に分かりづらいが、南側の外曲輪は西側の水堀跡が水路になってよく残っている。

勝龍寺
その南の外曲輪の中心には城の名前の由来になった勝龍寺が残っており、ここから東に向かった場所のT字路らへんに城の南の大手門があったようだ。

外曲輪の大門のモニュメント
大手門跡より東側には現在大門橋が架かっているが、中世の大門橋はもうちょい南側にあった。なお、現代の大門橋のたもとには画像のような門をイメージしたモニュメントが立っていた。