2019年5月11日土曜日

2018年冬最後の旅:大越城(福島県田村市)その2

2018年12月16日訪城。

その1の続き。

駒石
本丸から南に一段下った場所の腰郭は馬場と呼ばれており、大越氏の愛馬の「朝霧号」の厩がここにあったようだ。馬場には画像の巨石があり、この巨石は「駒石」と呼ばれていて、岩の上の窪みは朝霧号が付けた足跡という伝説がある。


二の丸
馬場から水平に西側に移動するとそこそこ広い曲輪があり、ここが二の丸と呼ばれている。ちょうど三の丸とは本丸を挟んで逆に位置している。内部は植林の雑木林となっている。


休み石
馬場から南に下った谷戸地形には押上同様に帯曲輪群が階段状に形成されており、所々に巨石が散見されるが、画像の石には城兵がこの石の上で休憩していた伝承から「休み石」という名前が付けられていた。


西の虎口
階段状の帯曲輪群の西には尾根が土塁のように伸びて城壁となっており、この尾根に堀切が設けられているが、そのまま内部の帯曲輪群に繋がっている為、堀切では無く切通でつまり西側の虎口だということが判る。ちなみにこの虎口から外に出ると山道を通る車道に出るが、車道のある場所が大越城と背後の山(標高593m)を切断する堀切の跡である。


西館跡
西の帯曲輪群と東の押上の曲輪群のちょうど中間にも尾根状地形があり、そこには西館という曲輪になっている。東の虎口の上にも東館という曲輪があるため、そこと対になって押上の隣にある御殿跡を守っているのだと思われる。


西館の虎口
西館には画像のように虎口と思われる箇所が確認出来るが、これらは岩山の地形を利用して加工しているように見える。


御殿跡
縄張り図では本丸に次ぐ広さの規模の曲輪が押上の隣の谷戸の奥にあり、ここが城主が日常生活を送っていた御殿の跡だという。現在ここには井戸が残されているが、大越氏の以前の居城は水を外から樋で城内に引き込んで居たため、そこに毒を流されて水が使用出来なくなった苦い思い出があるという。なので、大越城を築くにあたって水源の確保が一番大事だったようだ。