2018年12月16日訪城。
大越城の散策後、遅い昼食をとる為に田村市の中心である船引へと移動した。船引の街の中華料理屋で食事をした後、ちょうど近くに船引城があったため立ち寄った。船引城は田村氏一門の居城だった城で、田村氏を掌握しようとした相馬義胤が一時拠点にしたり、田村清顕の後家の隠居所となったりと、なにかと重要な局面で利用されている。
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館山公園入口 |
城跡は今は館山公園になっており、北側の麓に舘山公園の入口がある。当時の大手口が同じ場所かどうかは分からないが、街道と城下町が北にあることを考えれば大手は北で合っている気がする。
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大手道? |
少なくとも直で階段が付いている部分は公園化で削った部分と判るが、腰郭を経由するように通る道は旧来の大手道のように思える。
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主郭と副郭の間の土塁 |
斜面を登り切った館山の上には主郭と1~2mほど低い副郭が東西にあり、西側の主郭と副郭の間には土塁らしきものの跡がある。
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主郭 |
頂上の主郭はそこそこの広さがあるが、正直なところ歴史に登場する城の割には狭い感じがする。館山は比高は40mほどしかない丘だが、急斜面のため一応要害性はあるものの、やはり戦向きではなく統治専用の城のように見える。
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大土塁 |
主郭の背後には大土塁があり、丘陵続きの南側との間の仕切りになっているが、城内最高所でもあるため土塁というより見張り台的なものだったのかもしれない。
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大土塁の上の秋葉神社 |
大土塁の上には秋葉神社が祀られているが、由緒などは不明である。火伏の神であるため、城内に何か建物があった頃に祀られたとも考えられるが、街の火除けの為に近代に入ってから祀られたとも考えられる。
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船引城の背後の尾根 |
大土塁の背後は丘陵続きで南の山塊に繋がっている為、普通に考えればここには堀切等の厳重な防御構造があったはずだが、現状では畑や墓地になってそれらしきものは見当たらない。
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搦手口か? |
ちなみに東の副郭から東側に降りる山道があり、住宅地の脇に出れるが、もしかするとここも登城路の一つ(搦手?)だったのかもしれない。