2019年3月22日訪城。
郡山入りした翌日は朝から郡山市郊外にある片平城へと向かった。昨年、磐梯熱海温泉近辺を訪れた際に行くとこリストに入れていたものの、天候の悪化で回避せざる得なかった因縁の地である。
片平城は片平親綱の居城で、親綱は伊達政宗ファンなら知る人ぞ知る大内定綱の弟である。片平親綱より以前は片平伊東氏の居城だったが、大内氏により会津へと追いやられている。
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河津桜 |
片平の城下町だった上町、新町を歩いていると、城の近くで桜が咲いているのが目に付いたが、まさかと思ったら早咲きの河津桜だった。この辺りのソメイヨシノが咲くのが4月中旬なのでかなり早い花見である。
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片平城案内板 |
城に近づくと親切にも案内板があり有難い。案内板の後ろに見えるのは今流行りの太陽光発電所である。グーグルマップだとまだ畑になっているので、本当に最近出来たようだ。
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片平城入口 |
片平城入口は民家の脇にあり、城跡も恐らく私有地のようだが御厚意で解放されているようだ。熊出没注意の看板があるが、住宅地まで頻繁に来ることは無いと思うし、熊が隠れれるような深い藪も無いのでそこまで心配することもないと思う。
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西曲輪 |
登城路を登った丘の上は片平城(上館)の西曲輪で、周囲には土塁も残されていた。比較的広さはあるので当時は建物があったかもしれない。ちなみにここにはソメイヨシノも植えてあるようである。
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堀切と土橋 |
西曲輪の北側には堀切を挟んで主郭があり、ここは土塁で繋がれていたが、ここの堀切の鋭さと土橋のザ土橋という感じは見事だった。また、主郭側には堀切の内側に土塁が築かれており、この奥が重要区画だということをちゃんと物語っていた。
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主郭 |
主郭も西曲輪に劣らず建物がおけるだけの広さがあり、現在は鳴神神社の祠が祀られていた。それにしても田村氏の影響範囲には鳴神神社がやけに多いのだが、何か理由があるのだろうか。
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主郭北側 |
主郭北側は竹藪で倒木が酷かったが、岬状の地形になっているようだった。物見か何かがあった場所だろうか。
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梅の木 |
なお、主郭には打って変わって梅の木が植えられており、ちょうど満開の花を咲かせていて綺麗だった。
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中館 |
主郭から東を見ると低くなった丘に畑が広がっているが、この辺りは中館と呼ばれており、もしかすると片平氏の平時の屋敷があったのかもしれない。ただ、「まほろん」の遺跡地図だと中館は画像の左奥に見える建物の辺りを示していた。
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愛宕神社 |
愛宕神社は新町と上町の境界の後ろにある丘の上に鎮座しており、恐らく隣の天王台の丘も含めて片平城の一部だと思われる。社殿のある丘の上は周囲を土塁で囲まれており、東の出丸といった感じがる。