2019年3月21日訪城。
その1からの続きで、今度は市街地化している三の丸跡を南から反時計回りに移動した。
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南館堀跡 |
南三の丸(屋形曲輪)は完全に住宅地となっており、南館門跡の痕跡も確認出来なかった。曲輪の南にあった南館堀については、平成通付近が住宅地より明らかに一段低くなっており、「南館堀跡」の説明板もあったので確実に堀跡の痕跡だろう。画像だと文字が掠れてしまっているが、この説明板に「南館堀跡」と書いてある。
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地蔵堀跡 |
南館堀跡から南西に行った場所に地蔵堀の跡があり、画像の左側に南館堀同様に説明板が設置してある。この周囲はやや窪んでいるため、堀跡の痕跡だと思うが判り辛い。
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西館堀跡 |
地蔵堀跡から北上すると西館堀跡に沿って移動することになるが、カワチ薬品のドラックストアから北の交差点あたりまで段差があるのが確認出来るが、そこから判らなくなる。さらに北上すると宇都宮市役所にぶつかるが、ここに説明板があったので堀跡の上に市役所があるようだ。
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西館堀の痕跡 |
よく見ると市役所の敷地は大きく凹んでそのまま地下1階に繋がっており、堀跡をそのまま地下に利用しているようだ。まぁ、堀を埋めるにも膨大な土砂が必要なので、そのまま地下として利用したのだろう。
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百間堀跡 |
西館堀跡をさらに北上すると百間堀跡となるが、周囲は市街地となってやはり判り辛い。関東農政局付近に一応説明板が設置されていた。
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百間堀の痕跡 |
百間堀の幅は43mあったそうだが、ちょうど駐車場の脇の道に堀の痕跡が確認出来た。画像の通りハッキリと凹んでおり、この奥が三の丸跡、手前側が惣構跡である。
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三の丸土塁(大銀杏) |
百間堀の内側にあった土塁は唯一画像の箇所に残されており、土塁に大銀杏が鎮座していた為に奇跡的にここだけが崩されずに済んだようである。
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三日月堀跡 |
三の丸の北には正門である太鼓門があったが、今は宇都宮中央郵便局となっていてさっぱり痕跡は確認出来なかった。ただ太鼓門の北にあった丸馬出の痕跡は辛うじて残っており、馬出の外側の三日月堀跡が車道になっていた。
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三日月堀の痕跡 |
宇都宮中央郵便局の北に不自然にカーブを描いた小道があり、そのカーブが三日月堀の東半分にあたっている。画像の左側は宇都宮中央小学校で、明らかに地形に落差があるため、右側が堀跡だというのが分かる。
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大手門跡 |
最後に惣構えの大手門跡にも立ち寄ったが、画像の通り説明板があるだけで目に見える形で門跡の痕跡は確認出来なかった。