2019年6月7日金曜日

年初の京都奈良の旅:郡山城(奈良県大和郡山市)

2019年1月14日訪城。

春日大社から奈良市街に戻り近鉄奈良駅付近の商店街で散策したり昼食をとったりした後、奈良市から大和郡山市に移動した。目的地は近年修繕した天守台がある郡山城である。

郡山城は16世紀に筒井順慶が築いた城だが、豊臣秀長によって近世城郭となり、秀長の死後は豊臣と徳川の争いに巻き込まれて城主も何度も変わっている。大和郡山藩が成立すると藩庁となるが、藩主も度々変わり、最終的に柳沢氏が藩主になって明治維新を迎えている。

追手門と向櫓
郡山城には昔一度訪れているが、当時は復元された追手門を見るのが一番の目的だった。この辺りの景色は昔とあまり変わっていないように見える。


極楽橋跡
藩士の子孫の多額の寄付により極楽橋が復元されることに決まった為、橋の周辺では石垣の解体調査などが行われていた。極楽橋が復元されれば追手門から本丸に向かう正規のルートが復活するため、観光客が柳沢文庫裏の迂回路に気付かずに迷うという事態も無くなる気がする。(以前年配の方が迷っていた)


続日本百名城
目新しい石碑があると思ったら近年制定された続日本百名城の石碑だった。ちょうど旅の初めに訪れた宇陀松山城も続日本百名城なので、今回の旅は意図せずに続日本百名城に始まり続日本百名城に終わることとなった。


白沢門跡
極楽橋の先の本丸側にあった白沢門跡の周辺はフェンスに囲まれて内部が良くわからなかったが、やはり調査のために石垣を解体したり地面を掘ったりしているようだった。


天守台
郡山城の天守台の周辺というか本丸が全体的に綺麗になっており、天守台には手すりや展望デッキなどが整備されていた。


天守付櫓の入口跡
天守台を解体修理した際、天守付櫓の本来の入口が発見されたという。残念ながらその入口は再び埋められてしまったが、現在は色を変えた舗装でその場所を表していた。画像の灰色の部分には下に降りる階段が埋まっているのである。


天守台の上
天守台の上には礎石が残っていたそうで、保護のために礎石ごと上から舗装されているが、礎石の位置が分かるように、ここも色を変えてあった。画像の左奥は展望デッキで、そこの下だけは天守台の礎石が生で見えるようになっていた。


天守台から奈良方面を見た景色
天守台からの眺めはなかなか絶景で、奈良盆地を結構遠くまで見渡すことが出来た。画像は縮小してしまった為見えなくなってしまったが、本来は画像の中央奥に平城宮の政庁南門の灰色の覆屋根が見えていた。


緑曲輪から見た天守台
本丸から一旦出て緑曲輪の縁に整備された散策道に行くと、天守台の形がよく見える位置があった。追手門側からでもハッキリ見えるのだが、この時すでに日が傾いて西日のため、追手門側からだと逆光になってしまう状態だった。


中堀越しに見た二の丸
南門跡から外に出て中堀越しに二の丸を見ると石垣や櫓台があるのが確認出来た。残念ながら今は学校の内部になっているため、二の丸は外からじゃないと確認出来ないのである。ちなみに樹木や石垣がペンキをぶちまけたように白くなっていたが、鳥の糞か何かだろうか?