2019年3月22日訪城。
片平城を散策した後は、100mほど東隣にある下館にも訪れた。この下館も片平伊東氏の居館とされている場所で、地図などではぱっと見で平地だが、現地に行ってみると小高い丘なのが分かる。
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外堀跡 |
片平城から移動して地図上の住所の「下舘」を目指すが、下舘の北側にもずばり「外堀」という名の住所が残っている。画像がその「外堀」の西側部分で、奥の水田部分は周囲よりやや低くなっていた。なお、画像手前の石碑(板碑)も気になったが、文字は掠れて全く読めなかった。
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主郭跡 |
下舘の中心部は小高い丘になっており、現在は畑となっていた。北西部分等は宅地によって削られた跡があるので、当時は70m四方の正方形の丘だったものと思われる。
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主郭との高低差 |
丘といっても小高いもので、車道からは5m未満程度の高低差しか無い。城の分類でいえば平城に含まれるレベルである。
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外堀跡 |
ただ、どうも単郭方形のよくある居館では無さそうで、「下舘」の東西には「西戸城」や「東戸城」といった出丸のような地名がくっついており、東戸城の外側には外堀の跡も見られた。画像では手前が池のようになっているが、実際は画像の奥まで堀跡のような窪地が続いており、しかも奥で右に曲がって続いているようである。この延長線上に回り込んでみると、民家の中に残る水路と呼ぶには大きすぎる池に続いていた。