2020年11月23日月曜日

冬の秋田旅行リターンズ:内町武家屋敷(秋田県仙北市)

 2020年2月9日訪問。

前回秋田県を訪れてから1週間後に再び仙北市へとやってきたのだが、暖冬で雪が全くなかった景色は一変して、例年と同じような雪景色が広がっていたことに驚かされた。初日は先週と同じように山城跡にでも登ろうかと考えていただけに、さっそくリスケせざるえない事態となった。

とりあえず角館駅についてから町をぶらぶらすることに決めて、歩いて内町の武家屋敷方面へと移動した。

駅前のかまくら?
角館駅を出ると正面に小さな雪灯籠が並んでおり、秋田縦貫鉄道側にはハートマークのかまくらのようなものまで造られていた。1週間前のこの場所には雪すら無かっただけにとんでもない変貌である。


天寧寺
現在の角館駅付近は江戸時代には町の外で、内と外の境界には寺院が配置されていたことが当時の絵図から判る。駅から北に向かい旧道を西に進むと、昔の町の東端部である天寧寺の前を通る。この寺は蘆名氏の菩提寺で、会津にある天寧寺と同じ寺院を新たに角館で開基したものである。


内町武家屋敷
天寧寺から西に向かい十字路の交差点を曲がるといよいよ内町武家屋敷の地区に入るが、やはり先週見た景色とは全く違う「冬らしい景色」に変わっていた。


小田野家
武家屋敷の表通りに入ってまず右手に見えるのが小田野家で、先週青柳家で見た小田野直武はこの家の関係者である。元は佐竹氏の今宮家臣団に所属していた家柄で、江戸時代初期は田町の武家屋敷の方に住んでいたが、蘆名氏の断絶後に内町の武家屋敷に移されたようだ。


河原田家
小田野家の隣にあるのは河原田家で、こちらは蘆名氏の家臣として角館に入って蘆名氏断絶後も佐竹北家に仕えており、ずっと内町も武家屋敷を構えている。会津伊南郷の河原田氏と同じ一族で、会津に残って徹底抗戦した本家とは別に蘆名義広に仕えて一緒に落ち延びた分家の家柄である。なお、河原田家と小田野家は普段は無料開放されているが冬季は閉鎖されている。


岩橋家
河原田家から通りを北上するとしばらくして岩橋家があり、ここも敷地内は公開されている。ただ、建物内部は管理人が居る時じゃないと見れないそうなので、この時点では庭しか確認していない。入ってすぐ左の所に岩橋家の説明板がある。なお、岩橋家は蘆名氏の重臣という説明が書かれてあったが、他の家と違って会津時代の動向が確認できず裏付けが取れなかった。


松本家
岩橋家から北に行くと城下町特有の喰い違いの交差点があるが、一旦西側の裏通りに回り込むとそこの通りに松本家がある。表通りの武家屋敷と違ってこちらは柴垣で建物も小さめで、雰囲気が全く違うのが面白い。なお、ここも冬季は閉鎖されている。松本氏といえば蘆名氏四天王の家柄だが、ややこしいことにここの松本氏は佐竹氏の今宮家臣団に所属していた足軽の出身で元は田町武家屋敷の方に居たそうなので別の家である。鹿島流の松本氏の一族だろうか?


青柳家
喰い違いの交差点よりさらに北に行くと先週内部を散策した青柳家が見えてくる。青柳家は入館料500円ほどだが、内部は断トツで広く色々な施設があるため見所は多い。なお、青柳氏は常陸国那珂郡の国人領主で、佐竹氏の家臣だったが蘆名への義広の養子入りに伴って蘆名家へと入った。なので蘆名家断絶後は再び佐竹氏の元に戻った形になる。


石黒家
青柳家の隣には石黒家があり、こちらは入館料400円ほどだが、角館で唯一の現役で子孫の方が住んでいる武家屋敷である。なので建物の特徴等について石黒家の方が丁寧に説明してくれる。また、屋敷の奥の方にはちょっとした歴史資料館並みの資料があって参考になった。石黒家は元々は越中国の出身で院内銀山の鉱山町で働いていた所を佐竹北家にスカウトされて角館へとやってきたのだという。


太田家跡
石黒家からさらに北に行くと広い空き地(駐車場等に利用されている)に出るが、ここは太田家の跡で、画像のように跡地を記した標柱が立っている。常陸太田の旧領主である桓武平氏系の太田氏の子孫だろうか?


小野崎家(角館公民館)
太田家跡地から北に行くと端の方に小野崎家があり、この建物は復元されたもので今は公民館兼武道場(弓道場)の公共施設として利用されている。小野崎家はかつては常陸国守護代を務めた家柄で、後に佐竹氏の家臣になるが、佐竹四天王に数えられる重臣となっている。実際、道を挟んだ北側に佐竹北家の屋敷跡があることから重臣であることが判る。


佐竹北家屋敷跡
武家屋敷通りの突き当りの古城山の麓に佐竹北家の屋敷跡があり、屋敷跡の半分くらいが今は天理教の寺院になっている。なお、佐竹北家の屋敷はもう残っていないが、唯一蔵だけが現存していて文化財に指定されている。画像中央奥に見える蔵がそれ。