2020年11月30日月曜日

冬の秋田旅行リターンズ:阿仁合(秋田県北秋田市)

 2020年2月10日訪問。

この日の旅の目的は「上桧木内の紙風船上げ」であり、イベントは夕方から開始のため、それまではどこかで時間を潰す必要があった。通常なら角館で時間を潰してから移動するところだが、秋田縦貫鉄道の乗り放題切符が発行されていたため、上桧木内駅の更に先の阿仁合駅まで鉄道で移動して散策することにした。

阿仁合は古代から近代まで採掘で栄えた鉱山町で、16世紀の頃は阿仁川東側の小渕に拠点を持っていた高田氏が治めていたが、阿仁川西側の風張に拠点を持っていた松橋氏に敗れてからは松橋氏が治めた。その後、佐竹氏がやってくると秋田藩の管理する鉱山町となり、多くの入植が行われたが、以降は隆盛と衰退を繰り返しながら近代へと続いていった。

阿仁合駅
阿仁合駅までやってきた理由は、角館駅より北側だと阿仁合が比較的大きな町で、積雪があっても散策できそうだったからであるが、もう一つの理由として駅の内部にある食堂の料理が美味いと聞いたからである。その食堂の「こぐま亭」で馬肉シチュー(※当時のシェフが退職されて今はメニューに無いらしいので注意)を食べたがなかなか美味しかった。



異人館
明治時代に鉱山はメッケルを始めとする鉱山技師によって改革され、それに関する資料が異人館に展示されているそうだが、残念ながら休館日で中を見ることは出来なかった。


光明山善導寺
異人館からすぐ東側にあるのが善導寺で、前述した高田氏が松橋氏に敗れた後に俗世を捨てて出家して開いた寺である。菅江真澄が阿仁合を訪れた際にここの寺の鐘を褒めたたえているが、残念ながら戦時中に失われて現存していない。


一心山専念寺
善導寺から南西へと行った場所にあるのが専念寺で、京都の知恩院の末寺である。元は真木沢鉱山の近くにあったらしいが、1616年に現在地に再興された。阿仁合の土地を佐竹氏に寄進した際に佐竹氏の家紋を使うことを許された為、五本骨扇が画像の山門等に使用されている。なお、山門のすぐ前を線路が通っている為、画像の山門に向かって真っすぐには進めず、一旦画像左外側にある踏切を渡る必要がある。


金山善勝寺
善導寺の裏の通りにあるのが善勝寺で、木曽義仲家臣の今井兼平の子孫の今井了順が1596年に開いた寺である。小沢鉱山を開発した大阪商人などから信仰を集めており、山号の"金山"というのも恐らく鉱山に纏わるものなのだろう。


金銀山法華寺
善勝寺の北側にあるのが法華寺で、元は大阿仁の向山金山の山王丸七兵衛が開基した寺院だったが、1655年頃に米内沢に移転し、1691年に現在地へと再度移転した。この寺も泉州商人に信仰されていたようで、山号の"金銀山"も鉱山に纏わるものだろう。


銀山神明社
法華寺のすぐ前には銀山神明社があり、向山銀山が開発された時に勧請された神社である。北前船でわざわざ運んだ御影石で出来た石灯籠が境内にあって北秋田市指定の文化財に指定されている。


明池山観音寺
法華寺の前の坂を登っていくと坂の上に観音寺があるが、この寺は江戸時代に佐竹氏が祈願所として設置したものの為、佐竹氏の直轄管理で檀家は居ない。現在は善導寺が代わりに管理している。


無縁塔
観音寺の北の坂から階段を下りた先に無縁塔と呼ばれる石碑があって、ここが鉱山町の境界とされている。この為、江戸時代には鉱山町から追放処分になった者はここで解き放たれた。画像だと石碑はほとんど雪に埋もれており、頭の部分しか見えていない。