2020年11月3日火曜日

暖冬の秋田旅行:門屋城(秋田県仙北市)

 2020年2月2日訪城。

二日目は早朝から角館に移動した後、秋田縦貫鉄道に乗って西明寺駅へと移動した。目的地は門屋地区にあるかつての戸沢氏の居城である門屋城である。門屋城は戸沢兼盛が滴石を追われてから流転の末に辿り着いたこの地に1228年に築いた城で、15世紀に角館城に居城を移すまで戸沢氏代々の居城となった。


門屋城遠景
西明寺駅から北上して桧木内川に架かる門屋橋を渡ればそこは城下町があった集落で、大羅迦内沢川に沿って山の方までかつては武家屋敷が建ち並んでいたという。画像は門屋橋から見た門屋城址とかつての城下町だった場所。


三嶽神社の鳥居
城の本来の大手口は馬乗小路の現在民家がある場所の裏あたりと思われるが、丘の東南端の三嶽神社の鳥居の場所から今は登れる。なお、城址の説明板もここの脇にある。


主郭跡
階段を登った先はすぐに主郭跡で、今は雑木林になっているが結構広い。昔訪れた時は時期が悪く主郭跡は腰の背丈ほどのシダ等で覆われており、あまりちゃんと確認することが出来なかった。今回は真冬のたまたま雪が無い時期で、曲輪の内部をハッキリ確認することが出来た。


三嶽神社
主郭の東端に三嶽神社の社殿が鎮座しており、社殿は丘の端から東向きに建っている為、丘の麓の方を見下ろすような構図になっている。社殿の脇と後ろに土塁があるが、これは神社を造る時に築いたものだろうか。


三嶽神社から見た景色
丘はそこまで高くはないので絶景とは言えないが、かつて戸沢氏が治めていた桧木内川一帯の景色がよく見える。なお、戸沢氏の時代には画像の左側あたりに茶畑があったようである。


主郭の土塁
主郭は土塁で囲まれており、東と南の一部が不鮮明になっているが、西と北にはハッキリ残っている。


主郭北側の堀
土塁の外側には堀があるのだが、主郭北側の堀は圧巻の規模で、恐らく沢を加工したものだと思うが、主郭側面は断崖絶壁で落ちたら一巻の終わりである。


主郭西側の堀
主郭の西側の堀は完全に人力で掘ったもので、西館の曲輪との間を遮断する見事な堀切である。本来であれば橋でも架けられていそうな曲輪配置だが、主郭側の土塁にそれっぽい箇所は見当たらない。


主郭腰郭
主郭の南側には腰郭が付随しており、主郭の南東部から腰郭に降りて西館へと移動出来る為、当時も橋は使わずにこのルートで移動していたのではと思われる。


西館の曲輪
主郭と堀を挟んで西側に西館の曲輪があり、主郭よりやや小さいがほぼ方形で土塁に囲まれた曲輪である。内部は主郭同様に雑木林になっているが、畑の跡っぽい箇所もあるため、開墾されていた時期もあったようだ。


西館の西側の堀
西館の西側にも主郭同様の規模の堀切があり、しっかり背後の山側から遮断している。西舘よりにも西にはもう曲輪は無いようだが、馬場か的場によさそうな平場が広がっているので昔は何かあったのかもしれない。


屋敷島
島と付いているが島ではなく、大羅迦内沢と西ノ又沢の2つの小川に挟まれた低地である。今は雑木林だが、屋敷島とその周囲に不自然なほど平地が広がっており、かつて武家屋敷が建ち並んでいたというのもよく判る。画像は西館曲輪から屋敷島を見下ろした光景。


大手付近?
主郭と西館の南側にある腰郭からさらに南の平場に降りることが出来、そこから下りて行くと民家の裏側あたりに出る。ハッキリ大手口と言えるような箇所は無かったが、城への侵入ルートとしてはここが最もそれらしいので恐らくこのあたりが大手と思われる。