2020年11月29日日曜日

冬の秋田旅行リターンズ:菅原神社・神明社(秋田県仙北市)

 2020年2月9日参拝。

雲然から再び角館の町に戻り、今度は町の南端にある独立丘陵に登った。ここの山頂にあるのは菅原神社で、別名では宇津巻天神社と呼ばれている。天神社は戸沢氏が氏神として角館城(小松山城・古城山城)に祀っていたもので、家臣の鈴木氏が戸沢氏から褒賞として賜ったものを現在地に遷宮したのが始まりである。戸沢氏は居城を変えても常に城内に天神社を置いており、恐らく角館を去って常陸国の松岡に移ることになった際に、角館城にあった天神社を角館に残る元家臣に与えたのだろう。戸沢氏の氏神と言っても居城を変えるたびにその都度社殿は新築しているため、旧社殿を分霊という形で残したものと思われる。山頂から一段低い北側には神明社があり、これも元は角館城にあったものと伝わる。


菅原神社の鳥居
丘の東側にある参道から菅原神社を目指して登るが、雪で階段が坂に近い状態になっており、なかなか滑り落ちそうで危なかった。特に除雪などはされていないが、雪が降った後も誰かが登ったようで踏み跡が出来ていた。


菅原神社
急階段を登り切った先には菅原神社があり、本殿とは別に小さな拝殿のようなものが手前にあってちょっと窮屈な境内になっていた。社殿の方もやや小さめに見える。


浜田勤吾の像
境内には浜田勤吾の像が立てられているが、彼は九州の大村藩士で、戊辰戦争時に秋田藩の救援のための部隊として派遣され、刈和野の戦いで戦死した。15歳の若さで亡くなった上に服に縫い付けられていた母親のメッセージが人々の涙を誘ったようで、角館を戦火から救った各地の援軍への感謝の気持ちの代表としてこの像が建てられたという。


山頂から北側へ下る坂
菅原神社から北にある坂を下った先に神明社があるのだが、この区間は雪が降ってから誰も歩いていないようで、結局強引にラッセルして突破した。坂を下りた先からは除雪されていたので、神明社と菅原神社では管理者が違うのかもしれない。


神明社
北側にある神明社はなかなか立派で、社殿も参道も菅原神社よりも一回り大きく、社務所もちゃんとあって角館総鎮守と頭に付いているだけのことはあった。江戸時代の絵図を見るとこの場所に「伊勢堂」の名前で描かれており、当時から信仰を集めていたことは分かる。余談になるが、その絵図には菅原神社は描かれていない為、恐らく鈴木家の個人の所有扱いだったからか。


神明社の鳥居
広い階段を降りると神明社の大きな鳥居があり、この鳥居の前が角館の町を縦断する生保内街道となっている。なので、江戸時代に生保内街道を北上してきた旅人は玉川の渡しを越えた後、まずこの神社の前を通ることになる。この立地を考えると恐らく当時から多くの人が参拝していたのだろう。