2020年3月20日訪城。
三嶋館跡を見た後はそこから海岸線沿いを移動して歌津館へと向かった。歌津館は伊里前湾に突き出た歌津館崎という文字通りの岬にある城館で、1586年の本吉大膳と歌津十二人衆の戦いである「志津川湾海戦」では、歌津側の主力であった馬籠四郎兵衛の居城だった場所で、合戦は馬籠四郎兵衛が清水浜の北山家の後家に婿入りしたことが発端のため戦いの当事者でもある。
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歌津館遠景 |
伊里前漁港付近から海側を見ると湾に突き出た岬が見え、あそこが目指すべき歌津館跡である。岬の根本には港を擁しており、当時も恐らく多数の船が係留された海城だったのだろう。
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通行止め |
海岸線を移動して館跡まであと300mほどになった場所で、まさかの通行止めに愕然とする。海岸線はずっと一本道で、迂回するには1kmほど戻らないといけない上に、迂回した先の山の上の道路も状況が判らないので、悩んだ挙句時間的に厳しいと判断して今回は諦めることにした。
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伊里前湾 |
なお、「志津川海戦」はこの画像の海で繰り広げられたようで、案象沖という地点で歌津十二人衆の盟主である中館藤右衛門が討死したことで歌津勢は総崩れとなり決着が付いた。