2019年7月29日訪城。
京口門跡に近いホテルで一泊した翌日、再び広島城めぐりを京口門跡からスタートした。
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京口門跡 |
画像は京口門跡があった場所で、今は京口門公園になっており、遺構は見られないが公園に石碑が立っている。画像の奥が城内で、京都方面からやって来た武士や役人は当時はここを通っていたわけである。
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中堀跡 |
京口門跡から200mほど西に行った場所にテニスコート場があるが、ここの南側の歩道と車道は中堀の跡である。
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中堀跡のプレート |
歩道沿いにあるプレートには発掘された中堀の古写真が載っており、当時の広島城の三の丸と外郭の間の堀の様子が良くわかる。それだけに今はすべての中堀が埋め立てられて見ることが出来ないのが悔やまれる。
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三の丸南門跡 |
中堀跡の西の延長線上には三の丸の南門跡があったはずだが、ここはいくら探しても痕跡や説明板等は無かった。なお、当時は内枡形の城門があったことが古絵図から判っている。
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暗渠跡 |
三の丸跡にある交差点の地下道には暗渠跡の断面があり、この暗渠は当時は中堀と内堀を繋いでいたものだという。
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二の丸跡内部 |
前日同様に二の丸の表御門から二の丸へと入ると、前日は暗くて判らなかったが、内部の建物跡を平面復元していることに気付いた。あと、ここはどう見ても本丸の馬出であり、二の丸と呼ばれていることに違和感が残る。
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櫓内部の隅の窓 |
前日は既に営業終了していたため櫓内部を見れなかったが、この日は営業開始に合わせて訪れた為、ちゃんと内部を見ることが出来た。内部には木造復元に関する展示等があったが、それよりもやはり建物自体の構造が興味深く、櫓の隅の窓が画像のようになっていることなどが珍しかった。
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大本営跡 |
二の丸から本丸へと移動し、再び天守閣や御殿跡のある上段へと向かう。上段の中央付近には画像のように立派な石の台座があったが、これは広島城の遺構ではなく昭和の頃にあった大本営の建物の台座である。ただ、昭和の頃まで城が現役の軍事拠点だった証拠でもあるので、ある意味これも広島城の歴史の一部である。
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天守閣礎石(移設) |
本丸上段の北部には天守閣跡にあった礎石が移設されている。現在の天守閣は外観だけ復元した鉄筋コンクリートの建物であり、基礎を造る時に邪魔だった為にこちらに移されて展示されているのだという。
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天守閣 |
前日も思ったことだが、やはり本丸内部からは樹木が邪魔で天守閣が良く見えない。なお、天守閣内部は資料館及び体験型施設になっている。
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天守閣からの眺め |
天守閣の最上階からは城内の様子が良く見え、なかなかいい景色だった。流石に都市の中心なだけあって本丸の周囲はビルだらけだが、当時は海まで見えたのだろうか。
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三の丸土塁 |
天守閣に登った後は前日同様に本丸の裏門跡から出て今度は北側へと向かった。三の丸の遺構は目に見える形で残っていないと思っていたが、裁判所の北側に土塁がしっかり残っており、これは予想外の収穫だった。この土塁を越えた先は北の外郭となる。
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外堀石垣(移設) |
北の外郭跡は大部分が堀沿いの公園と高校の敷地になっており、その西側の歩道沿いに外堀の石垣が展示されていた。この石垣はアストラムラインの建設時に発掘された外堀の石垣を移設したものだという。
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地下道の外堀跡の表示 |
そのアストラムラインの城北駅に隣接する地下道はちょうど外堀の角のあたりを横切っており、外堀のあった位置を石垣状のオブジェで表示していた。