2020年2月1日訪城。
例年通りなら2月頭の秋田内陸は豪雪のはずなのだが、今回は記録的な暖冬で2月だというのに雪が無く地面が見えているという異常事態だった。スキー場も冬だというのに営業できずに終わっており、こんな冬の秋田は生まれて初めて見た。
今回は祭りが目当てで一月前から旅行プランを立てて訪れたのだが、払田の柵のイベント等は雪不足で中止になっていたため計画を修正せざる得なかった。とりあえず、初日は今回の宿泊地の仙北市郊外のあきた芸術村に移動し、早めの昼食をとってから芸術村から比較的近い白岩地区へと移動した。
白岩は中世に戸沢氏重臣の白岩氏(下田氏)が治めていた場所で、近世の佐竹氏の時代には家臣の多賀谷氏がこの地に配置された。丘の上にある町の「前郷」は城下町だった場所で、今もその名残が所々残っている。
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白岩城址(館山)
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館山にある白岩城はこの日の祭りの舞台でもある為、装備さえきっちりしていれば登れると踏んで訪れたのだが、結局雪は全く無く冬用の重装備が無駄どころか重荷になってしまった。なお、画像奥の鳥居の場所が登山道入口である。
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行人沢ルート
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登山道は杉沢ルートと行人沢ルートに別れていたが、とりあえず「井戸の台」へと向かう行人沢ルートから登り、後で杉沢ルートから降りることにした。ちなみに画像の山道沿いに並んでいる缶の付いた棒は祭りで使用される篝火の台である。
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井戸の台
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何度か折れた山道をしばらく登ると「井戸の台」という比較的広い腰郭に出た。名前から言って明らかに水の手曲輪であるが、残念ながら井戸らしきものは見当たらなかった。
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帯曲輪の土塁
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井戸の台から更に山道を登ると帯曲輪にたどり着いたが、ここには仕切のような土塁が造られていた。なお、杉沢ルートとはここに来る途中で合流している。
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帯曲輪の虎口
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画像は帯曲輪に登ってから通ってきた虎口を振り返ったもの。虎口の先は帯曲輪の斜面を降る坂の為、何気にこの曲輪の防衛上の役割は重要である。
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横堀(堀底道)
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帯曲輪から更に登った先は横堀になって側面を移動しており、堀底道として通路の役目もあったものと思われる。
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山の上の曲輪群
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堀底道の途中から更に山道を登るとついに山の上の曲輪群へと到着するが、予想以上に大きな曲輪が4段に渡って階段状に連なっている光景はなかなか圧巻だった。主家の戸沢氏の居城と比べても劣らないほどの規模である。
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土橋と空堀?
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曲輪群は基本的に切岸で隔てられていたが、最高部の主郭跡手前はやや凹んでおり、ここだけは空堀を設けていたようにも見える。
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空堀ではなく通路か?
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ただ空堀ではなく通路のようにも見え、側面の坂に繋がっているので、ここは主郭に入る道を鍵の字に折る為の馬出に近い役割の区画だったのではとも考えられる。
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主郭跡と古城神社
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連郭式に連なった曲輪群の最高所が主郭跡で、広い曲輪の奥には古城神社が鎮座していた。遺構としては土塁の跡が確認出来たが、それ以外に特にこれといったものは無く、当時はこの広い曲輪の中に何があったのか非常に気になる。
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巨木
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主郭の中で一番目を引いたのが一本の巨木で、これがなかなか見事で圧倒された。木の種類までは確認できなかったが、麓にある看板にもこの木と思われるものが描かれている為、どこかしらかには情報があるはずである。
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堀切
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主郭背後の山塊に続く場所はしっかりと堀切で遮断されており、堀切の向こう側に曲輪は見えなかった為、これ以降は城外になるものと思われる。
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杉沢ルートの腰郭
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主郭跡の散策後は元来た道を戻って下山を開始したが、途中で杉沢ルートの方に移動した。分岐を少し下ると、井戸の台と同じくらい広い腰郭に出るが、こちらの曲輪の名称は無かった為、どのような役割があったのかは不明である。
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腰郭から見た最も麓に近い曲輪 |
腰郭からさらに折れ曲がる山道を降っていくと、広くは無いがそこそこの広さの曲輪に出た。曲輪だと明確に判るものの中では最も麓に近い位置にあるため、杉沢ルートは本来の大手道で、この曲輪は大手の番所があった場所では無いだろうかと思われる。