2019年12月15日訪問。
満福寺からは山裾の農道伝いに西に移動し、三代宿(御代宿)の町はずれから再び街道に戻った。今度は会津五街道の一つの白河街道で、会津藩から江戸に向かう正式ルートで、古くは豊臣秀吉も通った道である。
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三代宿(御代宿)遠景
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農道を歩いている時に遠くに見た三代の町は江戸時代には三代宿として栄えた場所で、この宿場町の南には白河街道の難所の勢至堂峠があるため、峠越えのための重要な拠点であった。今回は町をスルーしてしまったが、いずれはちゃんと散策してみたい。
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京塚(経塚)
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農道から街道に出た場所の近くに小さな丘があったが、この丘は京塚というらしく、そのまま住所の地名にもなっていた。平安時代に末世思想がはびこった頃、経典を未来に残そうと埋めた場所らしく、要するに「経塚」の事である。
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三代の一里塚
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京塚の隣にえびな食堂があり、その駐車場?に白河街道の一里塚が残っていたが、街道を挟んでいた2つの塚が完璧に近い形で現存しており、なかなか貴重なものを見れて感動してしまった。一里塚の大半は国道整備の際に破壊されており、残っていても片側の塚のみというのも多いため、両側が残っているのは非常に珍しい。
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三代宿(御代宿)入口
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一里塚の西側の方には御代宿の看板があるが、三代宿も御代宿も読み仮名は「みよ」の異字体である。なお、画像中央左の建物の隣に一里塚があるため、旧街道は現在の車道ではなく左に見える看板の方向に向かって伸びていたことになる。そして一里塚を通った先で京塚にぶつかる為、そこで鍵の字に折れていたものと思われる。
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三王峠入口
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三代宿から会津方面へと街道を進むと三王峠があるが、今はトンネルが通っている為わざわざ峠越えをする車は居ない。画像の左の車道が国道294号でこの先にトンネルがあり、峠は右の脇道の先にある。
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三王峠
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峠道はトンネルが出来るまでは現役だった為、当然舗装もされているが道はなんとなくせまく感じる。峠のピークはやや切通のようになっており視界は悪い。三王峠という名前だけに山王権現でも祀ってあるのだろうかと思ったが、それらしきものは見当たらなかった。なお、地図を見ると八幡の文字もあるため、八幡様も近くに祀っていたのではないだろうか。
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三王峠の出口
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峠を越えて道を降ると再び国道294号に合流するが、結局道中にはこれといって面白いものは見当たらなかった。