2020年10月17日土曜日

郡山市街と湖南地方への旅:新城(福島県郡山市)

 2019年12月15日訪城。

福良の集落に到着した後は、一旦昼食を取り。その後に集落の背後に聳える山の上にある新城へと向かった。新城は中地伊東氏が築いた城とされ、最後の城主は伊東盛恒と伝わる。中地伊東氏の本拠地の中地は蘆名氏の命で新国信濃守が治めていた時期があり、想像になるが恐らくその時に福良に移った中地氏が新たな居城とすべく築いたのが「新城」なのではないだろうか。

わかの屋
昼食は福良の集落に南側から入ってすぐのとこにあった「わかの屋」で食べた。洋食和食中華のオーソドックスなレストランで、半日野山を歩き回っていたせいもあって飯が美味かった。


愛宕神社鳥居
城跡の大手口はよく判らなかった為、新城跡に現在鎮座している愛宕神社の参道から登ることにした。福良の町がL字に折れ曲がる場所のちょっと南側に参道の入口があるが、ここにある鳥居の幅が高さに比べて極端に狭い為、何気に衝撃的だった。


参道の階段
参道は山の急斜面を一直線に登っており、踏み段の幅が狭くて地味に踏み外しそうなのが怖かった。階段は高低差約80mを一気に登っており、この日の前半に野山を歩き回った疲れもあって息が上がり大変だった。


帯曲輪
階段を登り切ると主郭の下の帯曲輪に到着するが、やっと主郭跡にある愛宕神社の社殿が見えてくる。


愛宕神社
まずは主郭跡の愛宕神社に参拝するが、神社自体は主郭の南西隅を削って掘り下げて建てられたような感じだった。画像の左に見えるのは土塁ではなく、上が主郭の地面である。


帯曲輪南側
神社から主郭跡には入らず、一旦帯曲輪に降りて曲輪伝いに東へと移動する。画像の左手に見えるのが主郭の切岸と土塁になる。


南東側の尾根
帯曲輪から南東側の尾根に分岐する箇所は、普通なら堀切を置きたいところだが、残念ながら堀らしきものは見当たらなかった。後で資料を確認したらもうちょい先にいった場所に堀っぽいものがあるようだ。


古い墓地
帯曲輪の東端に急に古い墓地が現れて驚いたが、周囲の雑木林と違ってちゃんと手入れが入っている形跡があり、定期的にここまで人はやってきているようだ。未確認だが恐らく麓の感鷹寺の裏あたりからここまで登る道があるような気がする。


主郭枡形虎口
愛宕神社から主郭に入らずにわざわざ帯曲輪を移動したのは訳があって、主郭の北東にある虎口から中に入りたかったのである。この虎口の部分は小さな枡形になっており、やはり安積郡で激化する戦闘に備えて以前よりも城を強固にしようという意思が見て取れる。ただ、どうも上手く写せなかった為、画像のようによく判らない絵になってしまった。


主郭
主郭跡は東西に伸びたやや長方形に近い形で、曲輪の南半分にハッキリと土塁が残っていた。内部は雑木林で、山の山頂にも関わらず視界が遮られて展望は全く利かない。



主郭跡の中央には祠が一つあり、恐らく山頂だからこの山の神を祀っているのだろう。もしかすると元は城の守護神だったものかもしれない。


二の曲輪跡
主郭から北西に一段低い場所に二の曲輪があり、比較的広いが内部は主郭跡同様に雑木林である。北端部に虎口があるらしいが、残念ながらこの時は確認し忘れた。恐らくこっちの虎口の先は麓の長泉寺に繋がっている気がする。