2020年10月5日月曜日

郡山市街と湖南地方への旅:舟津の代官所と港町(福島県郡山市)

 2019年12月15日訪問。

横沢館から更に西へと向かうと湖南地方の港町の中では最も大きい「舟津」の集落へと至る。舟津は文字通り江戸時代以前から猪苗代水運の港町として栄えた町で、江戸時代には二本松藩の代官所などが置かれていた。

舟津代官所跡
行政センターの隣の消防団の建物の敷地に代官所跡の石碑が建っており、江戸時代はここに二本松藩の湖南地方を治める代官所があった。舟津は水運と陸上交通の要所のため代官所が置かれたと思われるが、ここより西や南側は会津藩になるため、藩境を管理する重要な場所でもあった。なお、代官所跡を偲ぶ遺構は現状では見られなかった。


舟津川
舟津の港町はやや湖岸から離れている為、もしかすると湖から舟津川の河口に入り、少し川を遡った先に船を係留していたのかもしれない。画像の右側が舟津の町のため、この辺りの川岸に係留していたか、河川敷に船を打ち上げていたかしたのだろう。


日本一
ちなみに舟津の町から川を挟んだ先の対岸の地名は「日本一」で面白い。地名の由来は二本松藩の殿様がこの地の米を食べた時に「日本一美味い」と絶賛したことに由来するという。


日本一観音像
ここには洞泉寺の寺院があるが、境内の観音像には「日本一観音像」という名札が付いており、見た人は「何が日本一なんだろう?」と困惑しそうだ。ちなみにこの観音像は洞泉寺の御本尊がモデルで、この御本尊は何度か盗まれたりしたが、その都度この場所に戻って来たという。