2019年9月23日訪城。
連休の二日目は午後から雨に祟られて散々な結果になり、新庄から仙台へと移動して結果的にただの列車とグルメ旅になってしまった。最終日も天候は悪く、旅を切り上げて帰途についたが、仙台から福島に移動する途中、最近桑折の西山城で復元祭があったことを思い出して立ち寄ることにした。
|
西山城遠景 |
新幹線の高架下付近から西山城が見え、本丸付近の木々がカットされているおかげで、遠くからでも曲輪があるのが良く見えた。
|
万正寺の大カヤ |
城の大手を目指して移動していると高速道路下の近くでカヤの巨木に出会った。樹勢はまだまだ盛んに見え、なかなか圧倒されるものがあった。
|
西山城への道 |
西山城の大手を目指して移動し、画像の看板の場所から右の小径に入り、民家の前を抜けて山に続く砂利道を登ったが、地味にルートが判り辛い。
|
大手門跡 |
砂利道の山道を登っていくとやがて視界が開ける場所に出るが、ちょうどこの場所が大手門跡となっている。なお、門の痕跡は埋まっているのか判らないが、門脇の土塁だけは今も見られる。
|
砲台場跡 |
大手門跡の東の高台は砲台場跡で、これは戦国時代ではなく幕末の戊辰戦争時に設けられたものだという。
|
腰郭 |
本丸の東の腰郭は木々が刈り取られているおかげで展望が良く、なかなかの絶景ポイントだった。
|
横堀 |
本丸の側面には横堀が設けられており、一部が本丸に続く車道で破壊されているものの、比較的良く残っていていい感じだった。
|
本丸裏門跡 |
本丸の北東端には裏門跡があり、門は発掘調査から4本脚の冠木門だったと考えられている。現在は門の柱穴や柵列などが平面復元されている。
|
本丸主殿跡 |
本丸は中心に主殿があるだけのシンプルな構造で、基本的に儀式や政治的な場にしか使用されていなかったようである。現在、主殿跡は平面復元されている。
|
本丸表門跡 |
本丸の表門は東側にあり、前述の大手門跡から山道を100mほど上に登った場所にある。こちらも裏門と同じ4本脚の冠木門だったようで、同様に平面復元されている。
|
堀切 |
本丸の西側には堀切を挟んで二の丸があり、この間は土橋で繋がれている。ただ、今ある堀切東側の土橋は耕作地化した時に造られたもので、本来の土橋は堀切の西側にあったという。恐らく画像の奥に見えるのがその土橋の断片で、残念ながら本丸と二の丸の北西部が土砂崩れで失われた為、今は使われていない。
|
二の丸跡 |
二の丸跡はけっこう広い曲輪で端にはしっかり土塁が残っていたが、ここには説明板が無かったので何の役割があった曲輪なのかはよく判らない。なお、本丸と二の丸を合わせて東館と称しており、これは南西部の中館、西館と区別しているものと思われる。
|
堀切 |
二の丸跡と中館の間には比較的大きな堀切があり、現在は切通のように利用されている。特に二の丸側は土塁もあるためか結構落差がある。
|
中館斜面 |
中館の二の丸側斜面には腰郭が3段に渡って設けられており、本丸よりも標高が高いのもあってこちら側の方が本丸よりも重要な曲輪のように見える。
|
中館の曲輪 |
中館の頂上の曲輪は長方形に近い形に区画されており、微妙に高さの違う曲輪に細分化されていた。なお、西側には土塁が設けられ、堀切を挟んで西館と並んでいる。
|
中館からの景色 |
中館は本丸よりも高い場所にある為、城内では一番眺めの良い場所だった。天文の乱でこの城が戦場になった時も、ここから外の様子を見ていたのだろうか。
|
堀切 |
中館と西館の間には堀切が設けられており、堀の両脇には土塁が設けられている。ハッキリ言って土木量では本丸周辺よりも、こちら側に力が入っているように見える。
|
西館の曲輪 |
西館も中館と同じく内部は2つか3つに区画されているようで微妙に段差などがある。なお、草木が雨でビショビショな上に地面も抜かるんでいた為、奥まではハッキリ確認出来なかった。