2020年4月12日日曜日

秋の関西旅行:尼崎城(兵庫県尼崎市)

2019年10月20日訪城。

10月下旬にまとまった休みが取れたため、関西方面へと出かけてきた。最初に向かったのは兵庫県の大阪府に近い場所にある尼崎で、目的地はちょうど城の再建で話題になっていた尼崎城である。尼崎城は1617年に戸田氏鉄によって築かれた近世城郭で、戸田家以降の尼崎藩の藩庁となった城である。

尼崎城址公園
阪神電鉄の尼崎駅から橋を渡った先に尼崎城址公園があり、ここは本来は西三の丸があった場所である。尼崎城は近世城郭で明治時代に撮られた写真でも建物がハッキリ確認できるが、都市部にあったことが災いして地表にあった遺構や建物は全て開発で破壊されて現存していない。強いて言えば唯一残っているのが画像手前に見える庄下川(外堀に相当)である。


再建天守閣
尼崎城址公園にある天守閣は外観復元の鉄筋コンクリート天守だが、ややこしいことに本来の本丸跡ではなく西三の丸跡に再建された為、周囲の石垣や塀も含めて模擬天守閣でもある。


天守閣からの景色
天守閣内部は資料館や衣装の体験施設になっており、最上階のARモニタは向きによって景色が変わるのでなかなか興味深かった。なお、城址公園の周囲は住宅地や学校のため、天守閣からの景色は画像の通り、絶景とは言い難いものであった。


模擬内堀
再建天守閣があるのが西三の丸跡の内部になるが、天守台の下にはご丁寧にも模擬内堀も造られていた。水深はかなり浅い為、水堀というよりは広い足湯みたいな感じである。


西三の丸模擬石垣
城址公園内で旧情に最も近いと思われるのは画像の西三の丸を再現した場所だが、遺構ゼロからの再建のため石垣なども想像で作ったものだという。なお、下の白石は水堀を表しているものだという。


不明門跡の模擬石垣
同様に西三の丸不明門の石垣も想像で再建されている。ただ、松平氏時代の絵図と比べるとちょっと東側に引っ込みすぎな気もする。


城址碑
尼崎城址公園を散策した後は、住宅地を抜けて本丸跡を目指して移動した。現在の本丸跡は明城小学校になっており、グラウンドが二の丸跡になっている。といっても堀は全て埋まっている為、全く境界が判らない。グラウンドの外側の車道沿いに画像の城址碑と説明板がある。


二の丸跡から見た本丸天守閣跡方面
本来の天守閣跡は学校に隣接する市立文化財収蔵庫という建物の場所にあるが、外からは残念ながら確認する術が無かった。画像は二の丸跡から本丸天守閣跡方面を見た風景で、正面の建物は内堀跡の上に建っている。


二の丸公園
なお、二の丸跡は住宅地と琴浦高校になっており遺構は全く見られなかった。二の丸跡北側の一部が二の丸公園になっているが、画像の通りただの公園である。