2020年4月29日水曜日

横手盆地の紅葉の旅:横手城(秋田県横手市)

2019年11月2日訪城。

秋も深まった頃、城址の紅葉を見る為に秋田県の内陸南部へと出かけてきた。最初に向かったのは横手市で、何度か訪れたことのある横手城がある城下町である。

羽黒の柳
まずはかつて武家屋敷があった横手市の羽黒町へと向かったが、途中に市指定天然記念物の「羽黒の柳」を見つけた。流石に柳は紅葉しないようだが、その立派な巨木っぷりに目を奪われた。これでも樹勢は衰えて幹は折れて全盛期の2/3くらいの高さになっているというのだから恐ろしい。


羽黒町の武家屋敷通り
残念ながら武家屋敷そのものは残っていないが、鍵の字に折れた道などの町割りが今も残っており、木製の黒塀に紅葉が映えていい感じの風景だった。


八柏大和守道為殉難の地
羽黒町から城の大手に向かって進むと、途中で橋のたもとに「八柏大和守道為殉難の地」の石碑がある。八柏道為は小野寺氏の重臣で、智謀に長けて戦にも強かったという。このため、敵対する山形の最上義光は道為が最上氏に内通しているという嘘の情報を流した。これを信じた小野寺義道は横手へ登城する途中の道為をこの地で暗殺したという。小野寺氏は義道の代にはかなり追い込まれており、精神的にも弱っていたところを付け込まれたのだろうが諸行無常である。


七曲坂
城下から七曲坂を通って横手城へと登城するが、この道は当時の大手道だという。ただ、今は車道になった搦手道から皆城に登る為、この道はあまり人が通らないようだ。実際、道の上の方の日の当たる箇所では草が茫々になっていた。


大手門跡
大手道を登り切った場所にかつては大手門があったそうで、大手門跡の標柱が立っている。この先は武者溜で本丸と二の丸の間にあった曲輪である。


本丸跡
大手門跡を抜けて右手のさらに一段高くなった場所が本丸跡で、現在ここには秋田神社が鎮座しているが、この神社は横手城の大手門などを解体した建材で出来ているという。神社の前に綺麗に黄葉した銀杏の木があったが、若木のようなので比較的最近植えられたものだろうか。


横手城二の丸
本丸から再び武者溜に戻り、今度は二の丸に向かうがここには模擬天守閣が鎮座しており、横手城の画像ではよくこの模擬天守が出てくることが多い。本来の二の丸には屋敷があったようで今も庭園の跡がある。


模擬天守閣最上階から見た二の丸
画像は二の丸のちょうど庭園跡のある辺りを見下ろしたものだが、紅葉も黄葉もやや緑がかっており、ちょっとイマイチな状態だった。


根岸町の銀杏
再び城から城下に降りて根岸町を移動すると、銀杏並木が綺麗な場所があった。ここもやや緑がかった銀杏はあったが、全体的によく黄葉していて良かった。


外郭の塁壁跡(横手境界)
根岸町の端には横手城の外郭の塁壁があり、この先は街道が通る城下町になる。現在、この塁壁の上には横手教会が建っている。


城門跡
かつての武家屋敷だった根岸町から、城下町だった本町へと抜ける箇所には当然ながら城門があったわけで、この跡地が画像のあたりになる。画像の奥が本町、手前が根岸町である。ちなみにここよりも北側にもう一つ桝形虎口の城門があったようだが、今は住宅地になって道さえ失われていた。


外郭の塁壁跡(中央公民館)
城門跡を挟んで更に南に塁壁の痕跡が続いているが、画像の塁壁跡は横手中央公民館の敷地になっている。判り辛いが画像左側は落差3~5mほどの斜面になっている。斜面の下には当時は水堀があったようだが、残念ながら今は全て埋め立てられている。


外郭の塁壁の先端部(鐘突き堂)
外郭の塁壁の南端部は横手川に接しており、横手城から見てもこの箇所は川に突き出るようになっていて且つ鐘突き堂があり特異な風景である。当時の絵図を見ると、実際はもっと川に突き出ていたか、川が内側を抉るように描かれており、護岸工事で今のような風景になったようだ。