2020年4月26日日曜日

秋の関西旅行:岸和田城(大阪府岸和田市)

2019年10月22日訪城。

竹田城から大阪に移動して一泊した翌日、以前から一度訪れたかった岸和田城へと出かけた。岸和田城の始まりは諸説あるが、本格的な城郭になったのは1585年に小出秀政が岸和田の領主になった時で、この時に天守閣が建てられたという。江戸時代には岸和田藩の藩庁となり、松平康重によって総構えと城下町が整備された。

東大手門跡
商店街から岸和田城跡へと移動すると城見橋の交差点に出るが、この交差点の先が東大手門跡となる。残念ながら遺構は何も無いが、東大手門跡のプレートが設置してあった。手前を横切っている県道39号は外堀跡で実際城跡側よりも低くなっている。


外堀の外側の川
岸和田城の絵図には外堀の外側に川が流れており、この川が水路になって残っている。なお、川の名前までは確認出来なかった。


県道39号沿いの石垣
県道39号が外堀跡なのは確認していたが、道の脇に石垣もあった。ただ、本物の外堀跡の石垣なのか、歩道を石垣っぽくデザインしただけなのかはよく判らなかった。


坂口門跡
東大手門跡は城の面影は無かったが、画像の坂口門跡付近は狭い道が残っており、何故か白壁等もあって城っぽい雰囲気が出ていた。


北口門跡
北口門跡付近にも石垣があったが、これもやはり遺構を加工したものなのか、全く新しく石垣っぽいものを造ったのか判断が付かなかった。


二の丸跡
市役所と岸和田高校の間の道を抜けるといよいよ二の丸跡で、二の丸跡に関しては他と違って曲輪の周囲の水堀と石垣がハッキリ残っていて良かった。ただ、曲輪内部には特に見るべきところが無く、画像の時代時計っぽいものや櫓っぽいトイレがあるくらいだった。


本丸表門
二の丸跡から土橋を渡った先が本丸跡で、本丸跡に関しては城門や櫓がちゃんとあるものの実は全て昭和に建てられた模擬建築である。城門については外観は良く出来ていると思うが、隅櫓は江戸時代の絵とは全く違う盛に盛ったものだった。


復興天守閣
天守閣についてはかつて5層のものがあったと記録にあるが、昭和に再建された鉄筋コンクリート天守閣は3層のオリジナルデザインになっている。なお、内部は資料館で、最上階が展望台になっている辺りは他の城址と同じである。


八陣の庭
本丸跡には庭園アーティストの重森三玲が「八陣の庭」というオブジェを造っているが、これがなんだかよくわからない。説明を見る限りでは諸葛孔明の八陣をイメージして造ったらしいが、芸術というのはよく判らないものである。というか「何故城の本丸跡に八陣を?」という疑問が湧いてしょうがない。


内堀越しに見た本丸跡
天守閣から降りた後は内堀の外側を散策して本丸を眺めたが、見た目は模擬とは思えないくらい良く出来ていると思えた。


本丸裏門跡
内堀沿いを本丸の裏が見える位置に移動すると裏門跡が見えるが、この部分は絵図でも門は描かれているものの橋は描かれていない。なので、もしかすると船着き場だったのではとも思うが、ただ内堀は完全に閉じている構造のため、船で外には出れない。内堀の対岸に渡るためだけに船を用意していた可能性もあるが、なんとも謎である。


武家屋敷佐々木家
最後に三の丸跡に残る武家屋敷の佐々木家を見に行ったが、長屋門に土壁っぽい塀もあって実に外観は武家屋敷っぽかった。なお、内部は残念ながら非公開である。