2019年9月22日訪城。
連休2日目は山形から北上して新庄へと向かった。目的地は新庄藩の藩庁である新庄城で、ここも何度か訪れている為、今回は市街地に埋没した外郭の遺構を探しにやってきた。
|
南御門跡 |
新庄城の外郭(三の丸と記載する資料もある)には3つの桝形門があり、いずれも石垣の上に乗った櫓門だった。画像は南御門跡の標柱がある場所であるが、地図と絵図を見比べる限りではこの場所は堀端の道の端の部分で、門跡は画像の右奥の方にあったと思われる。現状は桝形の跡も石垣の痕跡も全く見当たらず、新庄南高に隣接する住宅地である。
|
二の堀跡 |
外郭の周囲には二の堀と呼ばれる水堀が張り巡らされていたが、今ではほぼ全て埋め立てられてしまっている。南御門跡から北東に伸びた道の先に歪んだ十字路があるが、ここは二の堀が折れ曲がっていた箇所で、この付近に辛うじて二の堀の痕跡が残っている。画像右の窪地がその堀跡の一端である。
|
大手門跡 |
外郭の枡形門のうち、東の中間地点にあったのが大手門で、ちょうど今は公園の入口のようになっている。ここは堀の一部が残っている為、位置関係が把握しやすい。当時の絵図に照らし合わせると公園側にある模擬石垣はちょうど桝形の外側の部分で、今の保健センターの前にかつては櫓門があったことになる。
|
二の堀跡 |
地図と照らし合わせて二の堀の跡を辿っていくと、ふるさと歴史センターの東側は堀の上にかかっているのが判る。画像のセンター横の妙な空間は埋め立てられた二の堀跡を示しているのだろうか。
|
北御門跡 |
二の堀は文化会館の駐車場の先で北西に折れ、その先には外郭桝形の最後の一つの北御門跡がある。画像の標柱から奥にかけては外郭の土塁がかつてあった場所で、画像右が外郭内部、画像左の住宅地が埋め立てられた堀跡になる。
|
北御門跡 |
道は北御門の桝形に沿って折れ曲がっていたが、区画整理で補正されたようで、画像のようにゆるやかなカーブに変わっていた。北御門の櫓門はちょうど画像の左の車道の所にあったようで、門の石垣等は今では確認できない。
|
三の堀跡 |
タカハシスポーツの店舗の前に三の堀跡の標柱があるが、「正保城絵図」などを見る限りではここにあったのは川(川名不明)である。新庄城の北西を流れる指首野川は実際に堀の役割を担っていた為、南東に位置するこの川も堀の役割があったということだろうか。
|
三の堀跡(暗渠) |
現在この川は暗渠になっており、ここから南に300mほど行った場所でやっと地表に出ているようだ。なお、川は最終的に指首野川などと一緒に桝形川に合流する。