2020年12月13日日曜日

新春の水戸城・その2(茨城県水戸市)

 2月22日訪城。

その1からの続き。

二の丸大手門を見た後は三の丸へと戻って、北側へと回り込んだ。もう一つの復元された城門を見る為である。

中三の丸の土塁と空堀
三の丸の内側には弘道館を囲んだ中三の丸という区画があり、その区画の土塁が北側に残っていて、その外側にあった空堀も比較的良く残っている。


北柵御門
この土塁の延長線上に中三の丸の北口である北柵御門があり、この城門も大手門同様に復元された建造物である。門は釘貫門という形式の門で、当時は弘道館の職員や役人がここから出入りしていた。せっかく作った城門ではあるが、残念ながらこの門は大手門と違って通行は出来ない。


城門の先は行き止まり
通行できないのは単純な理由で、門の先が行き止まりになっている為である。画像のように門の先は枡形になっているのだが、枡形の出口側(画像右側)が駐車場の盛り土で塞がれている為、完全に袋小路になってしまっているのである。


枡形の出口
駐車場の盛り土で塞がれていなければ、枡形の折れ曲がった通路は画像の箇所に繋がっており、ここから先が中三の丸の内部になる。なお、弘道館の図面を見る限りでは内側には門は無かったようだ。


孔子廟
中三の丸の区画は当時の建造物などが比較的よく残っており、弘道館の孔子廟あんんかも当時の図面と同じ位置にちゃんとある。ただ、本堂は昭和に焼失して再建したもので、燃えずに現存しているのは画像の門だけである。


学生警鐘
弘道館のチャイムである学生警鐘もだいたい当時と同じ位置にあり、画像の鐘はレプリカであるが、本物の鐘はちゃんと現存していて内部で保管されている。


通路
現在のこの辺りは梅園のようになっており、ちょうど咲いている梅が綺麗だった。なお、画像の梅園の散策路のような箇所は当時の図面だと弘道館と馬場の間にあった通路で、画像左が弘道館、右に馬場や調練場があった。


馬場・調練場跡
現在の馬場・調練場跡は市の庁舎や図書館の敷地に変わってしまっているが、それでも余裕があるほど広く、画像のような広場を設けれるほどだった。なお、画像の奥に見えるのは三の丸の西側に現存する土塁。


満開の梅
なお、梅の木全体はまだピーク前であったが、一部は既に満開になっており、画像のように見事な花を咲かせていて綺麗だった。あと、梅の香りもほのかに漂っていい匂いだった。


鹿島神社
梅園の奥には鹿島神社があり、方形の敷地に対して斜めに社殿があるためなんとなく違和感を感じるが、当時の図面を見ると今と同じように鹿島神社が載っており、昔からこのような配置だったようだ。なお、建物は昭和に焼失しており、現在の社殿は再建されたものである。