2月22日訪城。
その3からの続き。
弘道館から出て三の丸の西側の遺構を見る為に移動する。
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三の丸空堀 |
三の丸の西部には大規模な空堀と土塁が残っており、これでも下の方は埋まっているらしいが見事な堀である。本丸の空堀は水郡線、二の丸の空堀は車道が通って掘り広げられているだけに、城内で純粋な曲輪間の空堀を見れるのはここだけとも言える。
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三の丸大手口 |
三の丸の大手口には現在水戸警察署が建っており、警察署の裏の駐車場に枡形の土塁がある程度残っている。画像の通路がちょうど三の丸空堀に架かっていた土橋の一部で、奥に見える土塁が枡形の内側の土塁である。江戸時代の絵図を見るとここにも二の丸大手門と同様の櫓門があったが、門があったのは折れ曲がった先の方で、土橋正面からは門の側面しか見えないという構造だった。
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三の丸空堀の跡 |
警察署の隣にある常陽郷土会館はあからさまに地下1階が見えており、先の空堀と土橋との位置関係から見てここも三の丸空堀の跡である。
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合成地図 |
一連の遺構は駅前で見た合成地図で言うと、この画像の中央の部分である。合成地図でもわかるように、ここより南の堀は埋め立てられて国道や建物が上に出来ている。
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堀跡の底から地上を見る |
それでも国道を越えた南側は大きな谷になっており、堀跡の谷底から元居た地上までは結構な落差がある。画像は谷底から見た景色で、画像中央上の黄色い看板のある位置が、元居た地上の高さである。空堀はこの谷からは水堀に変わって千波湖まで伸びていたが、現在は全て埋め立てられてしまっている。
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水戸東照宮南参道 |
かつての三の丸から堀を挟んで南側の高台には東照宮が祀られていたが、ここは現在も東照宮が鎮座している。江戸時代の絵図だと参道は南側にしか見当たらないので、画像の階段が当時の参道と同じルートと思われる。
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水戸東照宮 |
丘の上の東照宮はなかなか凝った装飾の社殿で、他で見る東照宮よりもなんか金色の装飾が多い気がする。
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安神車 |
境内には幕末に徳川斉昭が造らせた日本最初の戦車が展示されているが、動力は牛なので要するにチャリオットみたいなものである。鉄で覆われた筒の狭間から鉄砲で外を撃つ構造だが、どう考えても外の牛が弱点なので活躍する様子が浮かばない。
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常葉山時鍾 |
東照宮の境内にある時鍾は元々は二の丸の柵町門にあったもので、城内に時を告げていたが、1704年に東照宮に奉納されたという。東照宮に時鍾を奉納した後は城内で時を告げるのは太鼓に変わったが、結局時鍾の方が良かったのか再び時鍾を鋳造して使用している。