2020年2月23日訪城。
その1からの続き。
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出羽神社 |
帯曲輪から階段を登った先が主郭で、現在は出羽神社が鎮座している。神社の縁起によれば源義家が勧請したらしいので恐らく1063年頃(出羽守に任ぜられた源義家が総本社の羽黒山の社殿を修理している為)には祠か社が祀られたものと思われる。
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本殿 |
出羽神社の本殿は背後の一段高い場所にあり、ここが羽黒山の山頂になる。この場所は佐竹氏の時代には物見台として使用していたとされている。
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主郭西側の堀切 |
主郭の西側には堀切が設けられているが、ただでさえ狭い主郭がこれでさらに狭くなっており、西側の出丸のようになった部分を切り離す必要が本当にあったのか疑問が残る。
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出丸下の腰曲輪 |
その出丸付近から西側の腰郭を見下ろしてみると嫌になるほど密集した笹薮になっており、ちょっと気が滅入る。
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出丸から二段下の腰郭 |
主郭から帯曲輪に戻ってそこから南の尾根にある腰郭に回り込むが、ここもやはり笹薮化して通れそうにない。縄張り図によればこの先に西尾根の二番目の堀切があるはずなのだが…。
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南尾根の堀切 |
しょうがないので南尾根の方に降ってこちら側の堀切を確認する。なお、この堀切は山道の分岐点にもなっており、このまま南に下れば愛宕神社裏に出る。堀切を通って西側に下れば街中に出るはずである。
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西側の山道 |
というわけで、西側の山道から下山を開始したのだが、途中で山道が笹薮に侵食されて大変なことになっていた。それでも辛うじて足元に道が見えていたので、強行突破することにした。
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西側の山道 |
ある程度笹薮を強行突破した結果、やっと笹薮の無い山道に出ることが出来たが、改めて見返してみると道がかなり見づらくなっている。ちなみに画像の中央から右の笹薮に曲がるルートが正しいルートである。
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西側の山道 |
山道をある程度下山してきたら途中に行き止まりの看板があったが、要するに西側の山道は使用できない認識のようだ。画像奥が山頂側なので、この看板の通りなら道は不通という意味になる。
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出羽神社の鳥居 |
山道を只管降りて線路の踏切を越えて街中に出ると画像の鳥居の場所に出る。これだけ立派な鳥居があるにも関わらず参道は自然に飲み込まれて消滅しかけているのだから、なんとも困った話である。