2020年12月25日金曜日

新春の奥久慈への旅:東館(福島県矢祭町)

 2020年2月23日訪城。

奥久慈を北上して福島県に入り、矢祭町で一泊した翌日、さっそく朝から宿のすぐ東に見える丘の上にある東館跡に向かった。

東館は白河の結城氏が南郷を抑える為に室町時代に築いた城で、班目氏が城代を務めていたが、佐竹氏の反撃が始まった際に落城し、以後は佐竹氏の奥州への中継ぎの城となった。

ふるさとランド
現在の東館跡は「ふるさとランド」とかいうアウトドア施設?の敷地になっており、さらに背後の尾根側には老人福祉センターも建っている。このため、現状だと曲輪の構造が元々どうだったのかよく判らない状態になっている。


主郭跡?二の曲輪跡?
公園のようになっている部分がたぶん主郭もしくは二の曲輪と思われ、東館についての簡単な説明板もここにひっそり立っている。位置的には尾根の先端部分で、展望台がある南側は別の曲輪だった可能性がある。


横堀?帯曲輪?
丘陵の斜面には横堀が設けられているが、もしかすると土塁を伴った帯曲輪かもしれない。実際、西の麓に向かって山道が付いているので、仮に堀だとしても堀底道のように通路の役割があったものと思われる。


帯曲輪
先の帯曲輪と思われる細い曲輪はちょうど斜面を半周しており、曲輪の外側の土塁は西側にしか見られない。


堀切
老人福祉センターの背後の尾根にはしっかり堀切が見えるが、尾根に登るには老人福祉センターの敷地を通って裏に回る必要があり、流石にこれは躊躇われた。


ふるさとランドのマップ
既に文字が一部かすれたりしているが、一応園内の道などを記したマップがあり、やはり老人福祉センターの裏から尾根に乗るようだ。ふるさとランドに来る途中の坂の途中にも山道への分岐が描かれていたが、実際現地を見てみたらそこは藪になっていた。

結局、水郡線の電車の時間が来たので消化不良のまま引き上げたが、次に来る時は東側の林道からアクセスしてみたい。あと、城址の北西部の住所に「唐目」※とあるため、この部分もよく見ておきたい。

※恐らく唐目手(搦手)のことを指しており、城の裏口の意味。