2020年2月23日訪城。
東館駅から水郡線に乗って塙駅へと移動し、そこから徒歩ですぐの場所にある塙代官所跡へと向かった。
塙代官所はこの辺り一帯が天領(幕府の直轄支配領地)になった時に、幕府の出先機関(御役所)として建てられたもので、中央に御白州があり、南西側に御殿と板倉、北東側に長屋などがあったことが判っている。代官所が設置された139年間のうちに着任した代官は45人おり、中でも23代目の寺西封元の人気が高く、この人だけは離任後も生神様として民衆に祀られていた。大飢饉のときに生きる糧を失った農民に公共事業を斡旋して賃金を与えたり、農村の人口減少の要因を取り除いたりした人のようだ。
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塙代官所跡 |
現在の代官所跡は御殿のあった場所あたりが広場になって、御白州付近が子育て地蔵尊の御堂になっている。それ以外の長屋などがあった場所は民家の敷地になっており、現状だと代官所の面影が全くない。
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子育て地蔵尊 |
御白州跡の子育て地蔵尊の本堂脇には寺西代官の顔出し看板なんかが設置されている。まぁ、ある意味本堂の前に御白州の白石をまけば代官所に見えなくもないかもしれない。
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代官中央公園 |
代官所の御殿や倉などがあった場所付近が今は代官中央公園になっているが、ハッキリ言って初見では公園には見えない。画像の建物の詳細はよく判らなかったが、恐らく公民館的な建物っぽい?ここは中央に見える寺西代官の座像と右に見えるDaikanCentralParkの看板がなんとも印象的だった。
ここには比較的新しい公衆トイレがあり、昼食をとってから羽黒山に登る前に用を足すことが出来て地味に助かった。