2020年12月18日金曜日

新春の奥久慈への旅:月居峠と前山(茨城県大子町)

 2020年2月22日登頂。

水戸で復元された水戸城を見た後に一旦昼食を取り、改めて今回の旅の目的地である茨城県と福島県に跨る奥久慈方面へと向かった。移動には水郡線を利用したが、先年の台風で線路は寸断されており、西金駅からはバスでの移動となった。

月居山登山口
電車2両分の乗客をバス1台に詰め込んだせいで、バス車内は通勤ラッシュ時のような混雑になっており、流石にこれに嫌気がさして袋田駅代替バス停で下車してしまった。気分転換に袋田の滝に寄り道しようと思ったのだが、途中で山に登りたくなり、気づくと月居山へと向かっていた。


月居山登山道
登山道は緩やかな道で歩きやすかったが、所々に岩が転がっており、この辺りは基本的に岩山なんだなということがよく判った。画像は登山道に転がる岩の上に登山者が積んだと思われる石塔。


岩山の上に見える建物
しばらく登っていくと目の前の岩山の上に何やら建物があるのが見えてきたが、地図を確認すると月居峠付近にある観音堂だというのが判った。つまりここまで来れば峠は目と鼻御先である。


月居峠の大銀杏
峠までたどり着くと目の前にイチョウの巨木が現れ、否が応でも興味をそそられるが、どうやら江戸時代までこの場所にあった光明寺の境内に植えられた木のようだ。


月居山城跡
月居峠から月居山へと登ろうとするが、袋田の滝にも行くことを考えると、山に登った後に再びここに戻ってこなければならず、今のペースだと滝に行く頃には日が沈む計算になるためここで無念の断念。そして計画を変更して前山を通って袋田の滝に降りることにした。


光明寺跡
なお、月居峠にあった光明寺は807年の創建で、1083年には源義家も戦勝祈願に訪れている。1864年の水戸藩の諸生党(約2千)と天狗党(約1千)の戦いがここで行われ、光明寺に陣を構えた諸生党が天狗党を破っているが、この時の戦いで寺は焼失したという。


石仏
境内にある石仏は意外にも最近、というか昭和の頃に水戸藩家老の末裔の方が寄進したものらしい。それにしてはやけに古ぼけてよく馴染んでいる。


観音堂
登ってくるときに見えた建物は観音堂で、この建物も昭和の頃に再建されたものだが、
「月居峠の戦い」の際に麓に避難させた観音様が再びここに戻って祀られている。なお、けっこう窮屈な場所に建っている為、納得のいく写真が撮れなかった。


前山の登山道
観音堂に参拝した後は前山に登る登山道をひたすら登り頂上を目指した。山道は先人によって造られた階段のお陰ですんなりと登れたが、急こう配がなかなかきつかった。


前山の山頂
ひたすら登った末に山頂に辿り着いたが、意外にも山頂を示すようなものは何も設置されていなかった。山頂からの景色は絶景ではあったが、目と鼻の先が断崖で足がふらふらの状態だとなかなか怖いものがあった。